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「そこ」に行ってしまえば何とかなる/建築家・伊藤麻理さん

インタビュー/働くあなたに伝えたいこと

「そこ」に行ってしまえば何とかなる/建築家・伊藤麻理さん

石川県小松市に、この春オープンした複合施設「サイエンスヒルズこまつ」。大きく波打つような形状が印象的だ。設計したのは建築家の伊藤麻理さん。30代の若さで公共建築を手がけるという「快挙」を成し遂げ、今もっとも注目されている建築家のひとりだ。常に自分自身の創造力やセンスを試され、比較されるタフな世界。伊藤さんはどう「一歩」を踏み出し、どう「結果」に向き合ってきたのだろうか。

すべては「レム・コールハース」との"出会い"から

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大学生の頃から、海外の建築事務所で働きたいと思っていたと話す伊藤麻理さん。

「何となく流れで」進んだ大学の建築学科。伊藤さんを目覚めさせたのは、オランダの人気建築家「レム・コールハース」との"出会い"だった。図書館で開いた1冊の建築雑誌。そこに載っていたのは見たこともない建物。「何これ?」。心をつかまれた。

それは、コールハースが設計した図書館だった。格子ガラスから入り込む光、スロープを活かした開架、当時はまだ斬新だったカフェの併設......。いわゆる図書館のイメージを根底から覆す造りに衝撃を受けた。既存のコンセプトを壊し、リサーチを重ねて裏付けした情報を元にコンセプトを再構築する。できあがった建物には外観から細部にわたるまで、それがフィードバックされ、独創的でありながらも"筋"が通っていた。

「コールハースがつくる建物に、人の流れを変え、街や社会さえも変えることができる力を感じました。優れた建物が持つ大きな可能性に気づいたのです」

いつかコールハースの事務所で働く――。心に決めた瞬間だった。

"そこ"に行ってしまえばできる

20140704_mari_ito_3.jpg伊藤さんが手掛けた「サイエンスヒルズこまつ」が載った建築雑誌の数々。

伊藤さんの頭の中は建築一色になった。大学での勉強だけでは物足りず、いくつもの設計事務所でアルバイトもした。「いろんな建築家の仕事を近くで見ておきたかった」。そして大学院卒業。いったんは都内の事務所に就職したが、「予定通り」1年後にはオランダへ向かう機中にいた。やっとコールハースに近づける――

だが、現実は厳しかった。コールハースが主宰する設計事務所はもちろん、ほかの事務所にも自分の作品をまとめたポートフォリオを送ったが、返事はない。「どうしてダメなのだろう」。途方にくれたときに足が向いたのは、コールハースの事務所だった。

1階にショールームがあった。伊藤さんはガラスにへばりつくようにしてコールハースの作品を見続けた。すると、ひとりの日本人スタッフが困った様子で出てきた。「すみませんが、不審な人だと思われてしまうので......」

事情を話すと、スタッフの男性はいろいろと情報を提供してくれた。レム・コールハースの事務所には"空き"がないこと、同じビルに期間限定で入っている日本の設計事務所がアルバイトを探していること......。「捨てる神あれば拾う神あり」だった。

紹介してもらった事務所でアルバイトをしながら、就職先を探した。そして3か月後、ついにオランダでの「居場所」を見つける。「Atelier Kempe Thill architects and planners」。ドイツ人の若手建築家2人が主宰する事務所だった。

語学力もツテもないオランダ行きだったという。躊躇はなかったのだろうか。

「一刻も早く夢に近づきたくて、何も考えずに飛び込みました(笑)。最初の一歩は重いし、ストレスを感じることもありますが、やった方がいい。大抵は自分で壁を立てて『やれない』と思っているだけ。それを乗り越えてみれば意外にできるし、意外にひとりじゃない。"そこ"に行ってしまえば何とかなるものなんですよ」

「へこたれた数が多いだけ強くなれる」

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伊藤さんの休みは、週に1日あるかないか。「たとえ1週間の休みがあっても、何をしていいかわからず仕事のことばかり考えてしまうと思う」と笑う。

コールハースの事務所で働くチャンスは結局なかったが、オランダで働いた3年間で伊藤さんは世界で通用する建築家としての基盤を身につけ、コンセプトから建物を考えられるようにもなった。

人脈も大きな財産だ。「オランダに来ている人は何かはっきりとした目的を持ってきている人が多く、意識の高い人ばかり」。ショールームで声をかけてきた日本人スタッフやアルバイト先の設計事務所のメンバーなど、その当時の仲間には、世界を股に活躍する有名建築家になった人も多く、今も刺激を受け続けている

帰国後の2006年には東京で事務所を設立した。コネはなかったが悲観はしなかった。「コンペで1等をとり続ければいい」。1か月に1回のペースでコンペに参加し、仕事をとっていった。だが、どんなにいい提案をしても、2等では意味がない。

「結果に落ち込むことは、もちろんあります。でも落ちていても何も生まれてこないこともわかっているから、長引くこともないですね。ダメなことが多いほど次へのステップになる。どんどん強くなるにはへこたれた数が多い方がいいと思っています。そして大事なのは、ダメだった理由をちゃんと考え、それを真摯に受け止めること。それは新たなものを生み出すためのエネルギーになるはずですから」

自分の中のクレームと闘う

20140704_mari_ito_4.jpg「サイエンスヒルズこまつ」の外観。

2011年、「サイエンスヒルズこまつ」のコンペに勝ち、初の大型公共建築へのチャレンジが始まった。建物のスケールが大きければ、動く人も多く、いろんな人の意見がぶつかることもある。現場から上がる「できない」の声への対応に奔走する毎日だったという。

具体的に何が『できない』のか、それを解決するには何をどうしたらいいかを考えました。そこには必ず原因があって、ひも解けばその苦しみはなくなります。何度も問題にぶちあたる中で、問題を理論的に整理する力がつきましたね」

施工主や業者との打ち合わせが夜中の2時3時まで続くこともあったが、「本気」がぶつかる現場は楽しかった。そして苦労したからこそ、最後までやり遂げたことで得た自信も大きい。

「公共建築の実績ができたことで、これからはどんな物件でもできると思えるし、そう思ってもらえるようになってきた。次は日本ではないどこかで大きな建物をつくってみたいですね」

その目は再び世界へと向き始めている。

最後に「完成した"作品"を見たときの満足感は?」と聞いてみた。

「お客様には言えませんが(笑)、妥協の連続の建物ができたと思ってしまいます。でも、それを思わなくなったときはやめる瞬間かな。これで完璧だと思ったら、そこで成長が止まってしまう。あそこがこうできなかったから次はこうしなきゃ――。常に自分のなかのクレームがあって、それと闘っているから成長できるのだと思います」

20140704_mari_ito_prof.jpg伊藤 麻理(いとう まり)

建築家(一級建築士)。1974年栃木県那須塩原市生まれ。東洋大学大学院工学科建築学専攻修士課程修了。都内の設計事務所に就職するも1年後には単身オランダへ。「Atelier Kempe Thill architects and planners」のスタッフとして約3年、設計士として活躍する。帰国後は都内で事務所を設立。コンセプトや景観とのバランスを重視した作品には定評があり、数々のコンペで優勝。一級建築士事務所「UAo」の代表取締役を務める。昨年は若手建築家の登竜門である「新しい建築の楽しさ2013展」にも招待を受けた。東洋大学建築学科非常勤教師。

(取材・文/金子えみ)

金子えみ

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    2019.04.13.Sat

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