六本木でミーティングを終えたあと、エスカレーター脇のポスターが目に留まる。『N・S・ハルシャ展:チャーミングな旅』と書かれた、春らしいピンクにたくさんの人が描かれたポスター。
そのキッチュな色彩感覚だけで、まずは興味が湧いてしまう。ビジュアルが好き。そしてふと気づきました。
「あれ、インドのアーティストって知ってたかな?」
食に触れる機会は多くても、実質的に触れる機会は少ない「インド」。旅をした友人に話を聞くと「お腹壊した!」「お金を......」の声。必ずしもいいことだけではないのが途上国への旅。しかしそこには必ず、いまの裕福な日本で生まれ暮らす私たちでは体験することのない経験も含まれているのは事実。私自身インドへの旅行は未経験なので、そのすべてが誰からか見聞きした想像の世界でしかないのです。
そう考えれば考えるほど、N・S・ハルシャとインドへの興味がふつふつと湧き上がり、彼の作品を通してインドを垣間見ようと、日を改めて六本木の森美術館を訪れました。
"繰り返す人々"の図。ハルシャの大型絵画から読み取る世界とは
ハルシャが彼の代名詞である"反復するイメージ"に興味を持ち始めたのは、インドで秋に行われるマイスール・ダサラー祭に多くの象が集まる様子を描いたころ。
当時、新しい絵画の可能性を模索していたハルシャは、彼が幼い頃から見てきた古都・ベールールやハレビードゥなどにあるホイサラ朝時代(11世紀〜14世紀)の寺院に施された細密彫刻に影響を受け、象の世話係である"マホート"の周囲に繰り返し象を描き始めました。繰り返し描くという作業、そしてそこから生まれる絵画に、生きる様を感じたのでしょうか。
その後、彼の絵画スタイルを確立する契機となった3点組絵画『私たちは来て、私たちは食べ、私たちは眠る』という大作を生み出します。丸2年を費やして完成したその3枚は、人間の原点を振り返る作品。世界中のどこにでもある光景の縮図といえる図像です。ひとりひとりの豊かな表情観察、仕草など、見どころ満載。これだけの人物パターンを描くのは相当の観察が必要だったのだろうなぁと、もし自分が描くことになったら? という状況を想像し、ただただ感動してしまうところでもあります。

そのほかに、マイスールを舞台に展開するN・S・ハルシャの初期の代表作品『チャーミングな国家』シリーズなども。97cm四方の正方形のキャンバスにそれぞれ部屋が描かれ、ひとつひとつが絵本の物語の1コマのような絵画です。いずれも1990年代初頭の市場開放以降に起きたインドの社会的変化が織り込まれ、グローバル経済の影響を受けるインドや、マイスールの様子を象徴しているといえます。
注意すべき点は、ただの二次的な対比としてのグローバルビジネスと農村生活ではなく、複層的で両義的であるというところ。一見、批評性のある絵画なのですが、起きている現実の光景を、じっくりと第3者の視点で1つの作品にまとめあげているところが、単なる批評ではなく両者の状況を注意深く描いたのだと感じられるポイント。
まるで間違い探し? ウォーリーを探せ? といわんばかりのエンターテインメント性を感じますが、N・S・ハルシャの絵画の面白さは人物描写だけでなく、こういった社会へのメッセージ性。よりいっそう楽しむには、観る私たちにもかなりの観察眼が要されるのです。
見れば見るほど見つかるチャーミングなキャラクター


絵画1点1点、いやもっと、登場している1人1人の人物を観察してみてください。......あ、れ?
たとえば『ここに演説をしに来て』は、2008年に制作された6枚組の絵画。その時代に起きていたことを思い出しながら観ると、なお面白いのです。
2008年といえば映画『ダークナイト』が公開された年であり、村上隆が米『Time』誌の「The World's Most Influential People - The 2008 TIME 100(世界で最も影響力のある100人-2008年度版)」に選ばれた年でもあります。じ〜っくり観ていると、ほら、いました、いました(写真下)。

N・S・ハルシャ流の、鑑賞者を楽しませるトリック。ひとつの絵画の題名、意図、描かれた人物1人1人に至る細部まで、何層にも重ねられた彼のメッセージが存在しています。
南インドの文化を知る作品群と「リソース・ルーム」
冒頭写真は『空を見つめる人々』。数え切れないほどの群衆を床面に描いています。彼らの眼差しはいずれも天を向き、その目線を追って見上げると、天井に映る鏡の中の自分が群衆に紛れたひとつの目になっています。インスタレーションに溶け込み、その先にあるものを思い描き、鑑賞者に思索させられる時間を与えるこの作品には、異次元のどこかにタイムスリップしたかのような錯覚すらおぼえます。

こういった館内のところどころに現れる床に配置された作品を観ながら、「あぁそうか、インドってきっと街中にこんな風に人がいるのかもしれないなぁ」と想像。作家が育った環境は、作品の各所に必ず隠されています。ひとつひとつの作品、どれをとってもそうなのかも? と興味が深まる鑑賞タイムとなるはずです。
初期の象が描かれた作品が彼の幼少期の影響だったように、日常が彼のインスピレーション源になっているので、「リソース・ルーム」には、なるほどがいっぱい。文化的な背景を示すものや歴史的な宗教絵画があるのはもちろん、彼の描く人物の表情が漫画のようにコミカルで愛らしいなぁと思っていたら、漫画まで展示されていました。
本人のインタビュー動画では、彼が街中に出てどのように観察と思考を繰り返し、作品を生み出しているかなども語られています。
彼の観察がいかに日常的に行われているかがわかるのが、いくつも並ぶ色彩感覚豊かな反復する大型絵画。かなりの枚数で、1枚1枚を読み解いていくと膨大な時間がかかります。観察を繰り返す日々が、作品数となって表れているかのよう。
ただ、これらの大型作品のなかでも特に目をひく『ふたたび生まれ、ふたたび死ぬ』(写真下)には、ほかの作品にみられる人や動物といったモチーフはなく、ぐるぐると巡る宇宙で構築されており、とても興味深い作品です。

『ネイションズ(国家)』(写真下)という、何段にも積まれた足踏み式ミシンのインスタレーションは、空間全体で「国家」の意味自体を問う作品。四方にまたがって設置された糸の絡まり方や配置にどんなメッセージが隠されているのかと、じっくりと鑑賞。というのも、インドは多言語、多宗教、多文化の国。この作品は、インド独立運動を象徴する糸車と、工業化を象徴するミシンに着想を得たもので、国家を成立させているのは人間のエネルギーや労働そのものだということも示唆しています。

社会で生活していると、目の前で起きたことの本質的な意味を考えずに過ごしがち。事象をゆっくりと見据えるN・S・ハルシャの姿勢は、社会生活を営む私たちへの問いかけともいえるかもしれません。
私たちはなぜここに生まれ、どこから来てどこへ向かうのか。作品を通して観るインドの歴史、そこに存在するこの世の不条理な出来事や両義的な価値観。かわいらしく描かれたものも、そうでないものも、そのさまざまなことを読み解き思索する時間こそが「チャーミング」であり「旅」の時間なのですね。
インド好きなかたも、初めましてのかたも、六本木で有意義な「旅」をぜひお過ごしください!
N・S・ハルシャ展:チャーミングな旅
会期:〜2017年6月11日(日)会場:森美術館(港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ森タワー53F)開館時間:10:00〜22:00(火〜17:00)無休入館料:一般1,800円

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