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日本の70年代フォーク/ロックがいまアメリカで注目されている [The New York Times]

The New York Times

日本の70年代フォーク/ロックがいまアメリカで注目されている [The New York Times]

日本のシンガーソングライター、遠藤賢司は学生時代に初めてボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」を聴いて、大きな違和感を感じたという。ポップ歌手のはずなのに何なんだ、この声は? だが3回目に聴いた頃には、心底からその新しさに打ちのめされていた。

先日スカイプ・インタビューに応じてくれた遠藤氏は、そう当時を振り返った。歌詞については「何を歌っているのか、さっぱり分からなかった」と言う。

彼の経験はある意味で、1960年代の典型的な音楽体験だといえるだろう。そしてまた、日本のポピュラー音楽にとって極めて重要な時代を理解する上で、カギとなるエピソードでもある。

欧米のマニアの間で注目高まる日本のフォーク/ロック

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遠藤賢司氏(10月25日に死去)。手のWサインは、かつて曲/アルバム名にも使ったフレーズ「ワッショイ」にちなんで。2017年9月9日撮影 (Hiroyuki Ito/The New York Times)

60年代の終わりから70年代初頭にかけて、音楽業界のメインストリームとは離れたところで革新的な音楽を作るアーティストたちが現れた。これまで欧米ではあまり知られてこなかった当時の日本の音楽シーンが、このほどまとまった形で俯瞰できるようになった。

アメリカのレーベルLight in the Atticが10月にリリースした『Even a Tree Can Shed Tears: Japanese Folk & Rock 1969-1973(木ですら涙を流すのです)』は、日本のフォークとロックの楽曲を集めたコンピレーションだ。ボブ・ディラン、ザ・バンド、ジョニ・ミッチェルなど西洋の音楽の影響を受けつつ、自らのアイデンティティを模索する戦後世代の日本のミュージシャンたちを紹介している。

映画『ロスト・イン・トランスレーション』(2003)のサントラに楽曲が収録されているはっぴいえんどを除く全てアーティストが、欧米ではこれが初めてのリリースとなる。

何年も前から、この時代の日本の音楽に注目している熱心なコレクターはいた。謎めいた魅力の浅川マキ、ビートルズの曲名を和訳してバンド名にしたはちみつぱい、フィリップ・K・ディックと親交を温めることになる金延幸子。マニアたちは少ない情報源を辿って、これらの個性豊かなアーティストたちのことを知ろうとしている。

Light in the Atticは、丁寧なリサーチをもとに埋もれた名盤の復刻やコンピレーションのリリースをしてきたレーベルだ。『Even a Tree Can Shed Tears』は日本アーカイブシリーズの第一弾。

これに続きアンビエント・ミュージックと、80年代のシティ・ポップをテーマに、それぞれコンピレーションの発売を予定している。日本の音楽はボアダムズ以降しか知らないというアメリカの音楽好きは、これにより開拓すべき新しい世界を見出すことになるだろう

アメリカの音楽を聴いて育った世代

第二次世界大戦後、一時はアメリカの占領下におかれたこともあり、日本ではアメリカ文化が席巻した。この時期に子供時代を過ごした世代は米軍のラジオ放送から流れるジャズやロックを聴いて育った。

はっぴいえんどのメンバーで、現代日本のポップ・ミュージック界を築いてきたキーパーソンのひとりでもある細野晴臣は、2014年のインタビューでこう語っている。「アメリカ文化に染まって育ちました。なんで僕はアメリカに生まれなかったんだろう、と思うぐらいアメリカナイズされていたんです」。

1960年代、大学ではフォークサークルが流行し、ビートルズの影響を受けたギターバンドが人気を博していた。60年代後期になると、その枠からはみ出そうとするミュージシャンたちが現れる。アメリカのルーツ・ミュージックに夢中になっていた若者たちだった。

その多くは、URCという会員制の小さなレコード・レーベルからレコードを出した。URCは音楽業界の規制に縛られず自由に音楽を発表するため、会費を集め、郵便でレコードを配布するという方法をとっていた。

このコンピレーションの収録曲は表面的には、カリフォルニアのフォーク・ロックの精巧なコピーに聞こえるかもしれない。バッファロー・スプリングフィールドやグレイトフル・デッドが東京で結成されていたとしたらこんな感じなのかも、と思わせる不思議な感覚だ。だが、欧米の音楽の影響を強く受けつつも、この時代のミュージシャンたちは日本独自の新しいロックのあり方を模索していた。

日本に住む自分たちはどんな音楽をつくるべきか?

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鈴木慶一氏。2017年8月21日撮影 (Hiroyuki Ito/The New York Times)

はちみつぱいを結成し、今も活動中のムーンライダーズのメンバーである鈴木慶一によると、日本語の歌詞を英語風に発音するスタイルを編み出したのは、はっぴいえんどの大瀧詠一だという。独特の唄い方を真似しようと苦労していた頃のことを鈴木氏は次のように語っている。

「同じステージで演奏した時、大瀧さんから『なんでそんな変な歌い方するの?』って聞かれたんです。君の真似をしてるだけだよ、って答えましたけどね」

アメリカ風のロックのリズムにきれいに乗る詩的な歌詞。はっぴいえんどのスタイルは、日本のロック・シーンを変えた。1971年に発売された彼らのアルバム『風街ろまん』はジャンルを代表する名盤のひとつだ。子供だった頃の東京の風景が消えていき、代わりにハイテクな巨大都市が立ち現れるのを、クールなタッチで描いている。

遠藤賢司が歌う「カレーライス」の歌詞は、なにげない日常の一コマと政治的なニュースを織り交ぜる。テレビがついたアパートの部屋で、ガールフレンドがカレーを作っている。そこに映し出される三島由紀夫の切腹のニュース。ご飯が待ち遠しい気持ちと、死への反応、この相反する二つが同時に心の中にある。遠藤氏はこの時、これこそが生きていることだと思ったという。

このほかにも、吉田拓郎によるクロスビー・スティルス&ナッシュを思わせる「蒼い夏」、歌う哲学者と呼ばれた斉藤哲夫による「われわれは」などが収録されている。

日本語で描き出される独自の世界観

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現在は米国カリフォルニア州在住の金延幸子氏。2017年9月15日撮影 (Peter Prato/The New York Times)

シカゴ大学で日本文学を教えるマイケル・K・ボーダッシュ教授は『さよならアメリカ、さよならニッポン:戦後、日本人はどのようにして独自のポピュラー音楽を成立させたか』という本の著者だ。

ボーダッシュ教授はインタビューで、はっぴぃえんどについて次のように語っている。「彼らは不可能なことに挑戦していました。日本のでもアメリカのでもない音楽を作ることを目指した結果、どこか人工的な日本と人工的なアメリカという世界観が出てきたのです」。

はっぴぃえんどの曲には、複雑な言葉遊びや、わざと言い間違えることで出る意味の曖昧さなど、様々な工夫がこらされている。作詞を主に担当していたのは松本隆。1971年に書かれたエッセイのなかで、彼は擬似西洋と偽物の日本の間で揺れ動いたと書いている。

遠藤賢司にとって、日本語は日常風景を切り取るのに欠かせない要素だという。「ディランの曲にこたつは出てこないよね。ミニスカートの女の子がこたつに入っているなんてあり得ない」。

かつては言葉の壁が世界進出を阻んだが......

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デビューアルバム『み空』を手にする金延幸子氏。2017年9月15日撮影 (Peter Prato/The New York Times)

だが、言葉の壁が欧米進出を阻んだのも事実だと、アルファレコードの創立者である村井邦彦氏は言う。このレーベルからレコードを出したテクノポップグループのYMO(細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏)は、英語の曲を織り交ぜ世界的な成功を収めた

村井氏は振り返る。「70年代から80年代にかけて、所属アーティストを売り込みに海外に行きましたが、大概曲のさわりを聴いただけで『日本語の曲なんて誰も聴かない』と断られてしまいました」。

このコンピレーションを編むために、Light in the Atticは何年もかけて日本のレコード会社に働きかけた。こうした音楽は海外では売れないと思い込んでいた日本の音楽業界の人々に、アメリカにも需要があることを説明するのに苦労したと、レーベル設立者のマット・サリバン氏は言う。

ライナーノーツや英訳された歌詞からは、日本という国の様々な側面をうかがい知ることができる。民謡をカバーした赤い鳥の「竹田の子守唄」はタブー視されていた被差別部落に関する歌だったため、一時は放送禁止にもなったという。

興味深いのが、シンガーソングライターの金延幸子のたどった人生だ。1972年にデビュー作『み空』を制作した21歳の金延は、アメリカ人の音楽評論家のポール・ウィリアムズ氏と出会い、発売を待たずに彼についてアメリカへ移住してしまったのだ。10年後、彼女は夫となったウィリアムズ氏を通してSF作家のフィリップ・K・ディックと親交を深め、彼の強い勧めもあり音楽活動を再開した

革新的なフォーク・ロックのブームは長くは続かなかった。だが、そこで活躍した音楽家たちは以後、日本の音楽シーンを牽引していくことになる。YMOはドイツのクラフトワークに対する日本の返答だったし、細野晴臣、大瀧詠一、鈴木慶一は80年代を通してヒットを飛ばした。

遠藤賢司は50年近いそのキャリアを通して、フォーク、プログレ、テクノ、ソロピアノ、演歌など、幅広いジャンルの曲を演奏してきた。70歳になった今も、ボブ・ディランはインスピレーションの源であり、ライバルだという。

「俺の方がディランよりすごい。今度12月に作ることになってるアルバムは、ハード・パンクだ。どうだディラン、参ったか!」

(遠藤氏はがんのため10月25日に亡くなった)

© 2017 The New York Times News Service[原文:The Hidden History of Japan's Folk-Rock Boom/執筆:Ben Sisario](抄訳:Tom N.)

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