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営業職からビリオネアへ。成功のヒントはサラの半生に詰まってる

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まるでハリウッド映画のようなサクセス・ストーリーを歩んできた起業家といえば、サラ・ブレイクリー氏です。ごく普通のOLだったブレイクリー氏は、27歳のときに補正下着ブランド「スパンクス」を創業。その約10年後に雑誌『フォーブス』の長者番付で女性としては史上最年少の「セルフメイド(自力で成功した)」ビリオネアとしてランクインしました。何度挫折しても、その度に立ち上がって前進し続けてきたブレイクリー氏とは、いったいどんな女性なのでしょうか?

挫折続きの過去

サラ・ブレイクリー氏は、1971年米国フロリダ州生まれ。弁護士だった父親に憧れて、当初はロースクールを目指していました。しかし、2回連続で不合格という結果に。子どもの頃からの夢に敗れて、しばらく現実逃避したくなったというブレイクリー氏は、夢の国、ディズニーランドで働くことにします。グーフィーの着ぐるみに入りたかったブレイクリー氏ですが、身長が足りなくて乗り物の案内係に。ここでも挫折を経験します。

ミッキーマウスの耳をつけて3か月間働いた後は、「Danka」という事務用品を扱う会社に就職。営業職として、ファックスの訪問セールスを担当していたそうです。セールス先では客に拒絶され、上司からはノルマ達成のために詰められる日々。ブレイクリー氏は、その当時のことを振りかえって、

「私はきっと間違った映画に出演しているんだわ。なんでこんなことが起こったの? こんなの私の人生じゃないでしょ?」なんて思っていたのを思い出します。「監督を呼んで、プロデューサーも呼んで。カット。こんなの違う」と大声で叫んでいました。

CNN Money」より翻訳引用

と発言しています。しかし、当時のブレイクリー氏にとっては一見無駄に思えたであろうひとつひとつの経験が、見事にスパンクス誕生の伏線となっています。尊敬する父親の言葉、ディズニーランドで白いパンツを履いて働いていたときに下着が透けて悩んでいたこと、そしてファックスの営業で培った当たって砕けろ精神。そのすべてが繋がって、27歳で5,000ドルの貯金をはたいて「スパンクス」を創業します。

軌道にのるまで会社員生活を続行

『フォーブス』の長者番付にランクインするレベルの起業家というと、とにかく大胆で型破り、そしてアグレッシブな行動を起こす人物像を想像してしまいます。しかし、ブレイクリー氏の場合は意外にも、スパンクスが軌道にのるまでは会社員生活と並行し、副業として商品開発や調査などに取り組んでいたそう。けっこう、慎重で堅実派ですよね。

2000年10月14日に会社を退職しました。そして「Danka」を辞めた2週間半後、私は『オプラ・ウィンフリー・ショー』に出演しました。

Forbes」より翻訳引用

2018年ゴールデン・グローブ授賞式でも渾身のスピーチが注目を集めた有名司会者オプラ・ウィンフリーは、絶大な人気と影響力を持つ人物です。ウィンフリー氏が番組で「スパンクス」の補正下着を絶賛したことで瞬く間に人気に火がつきました。そのおかげで、「スパンクス」は広告費をあまりかけないまま、ハリウッドスターや有名モデルも愛用するブランドにまで成長しました。

それまでほぼ無名だった「スパンクス」がウィンフリー氏の番組で紹介されたのは、ブレイクリー氏が補正下着をオプラ・ウィンフリー宛に送ったことがきっかけでした。ウィンフリー氏のような超大物に対しても果敢にアプローチできたのは、ファックスの営業時代に鍛えたダメ元の体当たり精神の賜物かもしれません。

ブレイクリー氏の歩んできた道をみていると、前向きさを失わないかぎり「無駄なことなんてひとつもない」という言葉は本当なのかもしれないと思わされます。慎重さ、根気強さ、そしてここぞというときにチャンスを掴む大胆さを兼ね備えているブレイクリー氏。今後の活躍に引き続き、注目が集まります!

[CNN Money, Forbes]

photo by Gettyimages

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吉野潤子
ライター・英語翻訳者。社内資料やニュースなどの翻訳者を経て、最近はWebライターとしても活動中。歴史、読書が好きです。

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