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パンテオン5人目の女性は、フランス人の敬愛を集めるシモーヌ・ヴェイユ

2017年6月30日に89歳で亡くなり、国葬が執り行われたフランスの女性政治家シモーヌ・ヴェイユ。亡くなって1年となる2018年7月1日、パンテオンに合祀されることが先日決定されました。

偉人の霊廟パンテオン

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photo by Shutterstock

パンテオンとは、パリの左岸、ソルボンヌ大学の近くに建つ18世紀末の建築物で、フランスの偉人を祀る墓所として知られています。現在ここに眠る偉人は75名で、作家のヴィクトル・ユーゴー、アレクサンドル・デュマ(ペール)、哲学者ジャン=ジャック・ルソー、ヴォルテールらの名が挙げられます。そのうち女性は4人のみ。シモーヌ・ヴェイユは、パンテオンに合祀される5人目の女性となるわけです。ちなみに、個人の業績が理由で最初にパンテオン入りした女性は、科学者マリー・キュリーでした。

シモーヌ・ヴェイユのパンテオン合祀については、亡くなった直後に、すでにマクロン仏大統領が言明しましたが、フランス人はみな肯定的に捉えています。実際、シモーヌは、多くの場面で「偉大な女性」と形容されるほどに、フランス人の誰もが一目を置く人物だったからです。

女性の権利獲得に貢献

シモーヌ・ヴェイユの業績は多々ありますが、その中でも、一番知られているのは、フランス女性の権利獲得に貢献したことです。とくに、保健相時代の1975年、多くの困難を乗り越えて、妊娠中絶を合法化する通称ヴェイユ法の可決に成功したことは高く評価されています。

ちなみに、日本で中絶が合法化されたのは1948年のこと。それと比べると、フランスの遅れが目につきます。いまでこそ、フランス社会はリベラルなことで知られていますが、1968年の五月革命以前は、非常に保守的だったのです。

当時、妊娠中絶が非合法だったフランスでは、イギリスかオランダに手術を受けに行く資金のない女性は、危険な違法手術を受けるしかありませんでした。その数は年間30万人に上り、劣悪な条件下の手術であるため、毎日ひとり死者を出すありさまだったと言います。

この状況を放置してはおけないという一念で、シモーヌは、ヴェイユ法の提案に踏み切ったといいます。最終的には可決に至ったわけですが、その道のりは険しく、国会での議論は、1975年11月26日から29日の明け方まで続く長丁場となりました。女性の政治家自体がまだまだ珍しかった時代に、当時の「良識」を覆す革命的な法案。法案提出から可決までをまとめたルポルタージュを見ると、シモーヌに向けて、どれほど暴力的な言葉が投げかけられたかがわかります。「人殺し」とまで罵られ、法案とは何の関係もない見当違いな個人的誹謗中傷を浴びせられても、決して激せず、冷静に、凛として、屈さないシモーヌの姿には、いま見ても感銘を受けずにはいられません。

アウシュヴィッツからの生還

シモーヌの出自は、ユダヤ系。実は、第二次世界大戦のさなか、16歳でアウシュビッツ=ビルケナウに強制収容され、家族の大半を失いました。死と隣り合わせにある苛酷な環境から生還したのちは、フランス屈指のグランゼコール(高等職業教育機関)であるパリ政治学院に入学。結婚し、子どもを3人もうける傍ら法学を学び、弁護士となります。続いて政治の世界でも活躍するように。そのころのシモーヌについて、元政治家のフランソワーズ・ド・パナフィユは、次のように語っています。

20世紀最大の悲劇を生き延びたのですから、人生を見る目が変わって当然でしょう。子どもたち、仕事、政治、すべてに対して、シモーヌは、まるで死に挑むかのように挑んでいました。子どもたちや近しい人だけでなく、何よりも、ホロコーストで亡くなった人々に見られても恥じない自分であろうとしていました。

Le Monde」より翻訳引用

死が日常であった世界から戻ってきたからこそ、とことんすべてを生き尽くすのだという気迫も生まれたのでしょう。シモーヌの息子たちが、母親について語った言葉も、それを裏付けるものです。

僕たちの母親は、学校の成績についてはうるさく言わなかった。むしろ態度や倫理感について厳しかった。母が一番嫌がったのは、僕たちが無為に過ごすことだった。

Le Monde」より翻訳引用

生ある限り、全力投球する。ヴェイユ法を可決に導いたシモーヌの信念の強さは、彼女の生きる姿勢と無関係ではないでしょう。

「こうあるべきだ」と自分が思うことを形にするだけ

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photo by Getty Images

写真や映像を見ればわかるように、シモーヌの視線は意志の強さを映し出していますが、当時のインタビューに答える言葉は、むしろ抑制された口調のものです。例えば、あるインタビューでは、インタビュアーの言葉にも、一語一語吟味して答える思慮深さが感じられました。

インタビュアー:ヴェイユ法の可決を、女性にとっての二重の勝利と考える人もいます。つまり、非合法堕胎が無くなる意味での勝利と、もうひとつは、フランス国会で初めて女性が大きな法案を通した意味での勝利です。
シモーヌ・ヴェイユ:(静かな口調で)「勝利」……という言葉は相応しいとは思えません。私なら、「進歩」と呼びます。

Interview madame Simone Veil| Archive INA」より翻訳引用

別のインタビューでは、政治家としての野心、法曹界に戻る意思の有無などを聞かれ、仕事についての考えを淡々と答えているのが印象的でした。

これまでに就いていた仕事でも、どのポストでも、できることをしてきました。(中略)しないといけないことがあるなら、それに最善を尽くしたいと思いますし、自分が思うことをかたちにしたい、それが一番大切だとも思います。(中略)
明日法曹界に戻ったとしてもまったく同じことで、こうあるべきだと自分が思うことをするのみです。

Hommage à Simone Veil | Archive INA」より翻訳引用

自分の使命だと感じた業務に精魂を傾け、ただ、ひとつひとつ手掛けてきたし、手掛けていくだけだという言葉に、私も仕事に対する姿勢を振り返る気持ちになりました。

シモーヌ・ヴェイユは、保健相を5年務めたのちも、初代欧州議会議長に就任し腕をふるいました。また、権威あるアカデミーフランセーズの会員にも選出されるなど、様々な場面で活躍してきました。けれども、どんな立場にあっても、信念を貫く意志の人であり続けました。

7月1日のパンテオン入りにより、シモーヌ・ヴェイユは偉人に列なることになります。そこには、彼女の業績を忘れはないという、いまのフランスの決心を感じます。

Le Monde, Archive INA

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冠ゆき
山田流箏曲名取。1994年より渡仏。大学院での研究の傍ら、国立大学や専門学校で日本語日本文化講師を勤める。2000年より、ポーランド五年、イタリア三年半、中国四年半の生活を経た後、2013年夏フランスに戻る。旅好きでもあり、今までに訪れた国は約40カ国。六ヶ国語を解する。多様な文化に身をおいてきた経験を生かして、柔軟かつ相対的視点から、フランスのあれこれを切り取り日本に紹介中。

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