入社後6年間は営業職だったというキリンの佐野環さんは、営業時代に培われたパワフルさと女性らしいしなやかさを兼ね備え、場を明るく和やかにしてくれる。ときどき楽しいエピソードに脱線しながらのインタビューは、佐野さんの気さくな人柄を表すかのよう。キリンで積み重ねてきたさまざまな経験を伺った。
佐野 環(さの・たまき)さん
キリン株式会社 事業創造部 部長。1994年入社。営業、マーケティング部を経て、2008年より海外留学。2009年にマサチューセッツ工科大学MBAを修 了して帰国後、戦略企画部に所属。その後オーストラリアに渡り、100%子会社である「ライオン デイリー&ドリンクス」にてイノベーションマネージャーを務めた。2016年より現職。女性部長職としては最年少。社内では「氷結の母」としても知られている。
シャッターが10cm開いていたら挨拶を
「コンクリートに頬が当たってやけどするかと思った」
キリンに入社後、営業職として酒屋を回っていたころのことだ。「シャッターが10cmでも開いていたら、そこから顔を出して『ごめんください』と訪問するように」と上司から教えられていた。女性の営業職というだけで「帰れ」と言われることも多い時代。佐野さんは上司の言いつけを忠実に守り、訪問を重ねる。
「自分は大学も出ているのに、というプライドが最初はあったように思います。でも、がむしゃらに仕事をするうちに、そんなものは消えてしまいました。洗濯機でぐるぐると回されたように価値観が変わって、頭の中が新しいOSに書き換わったよう。4年目くらいからは企業人としての謙虚さも身につき、周囲のサポートもいただけるようになって、営業が楽しくなってきたんです。同時に、売り上げも上がってきました」
ずっと営業部門で働いている男性上司の背中を見ながら、自分も「営業に骨をうずめてもいい」とさえ思っていたという。
ところが、29歳のとき、突然商品開発への異動を命じられる。「男性はずっと営業職でもいいのに、女性はダメってこと?」と自信を失った。毎日決まった時間に出社するという本社での勤務スタイルも、すっかり営業職が体に染みついていた佐野さんには、違和感を覚えるものだった。
コンセプトがNGになっても
本社で使われている言葉になかなかなじめない。一人で成績を上げていればよかった営業時代に比べ、さまざまな部署に協力を仰がなくてはならない。異動後、不自由さを感じていた佐野さんが任されたのは、キリンで初めてのチューハイの開発。慣れない中で取り組んでいたが、トラブルが起こった。
「最初に掲げていたコンセプトが、いろいろな事情で実現不可能になってしまったんです。チーム全員一度はひどく落ち込んでいたのですが、まだ『ダイヤカット缶』のアイディアは生きたままだった。缶のプルタブを開けると、ダイヤ型の凹凸が現れるというものです。能天気な末っ子キャラの私が、『私たちにはダイヤカット缶があるじゃないですか! これがあれば次のコンセプトを作れますよ!』と落ち込むチームを励ましたのを覚えています」
かくして、「『氷結ストレート果汁』を使った世界で最も冷たい(クールな)チューハイ」というコンセプトができあがった。コストや製作工程などさまざまなハードルを乗り越え、商品化したチューハイ『氷結』シリーズは、大人気を博す。
その後6年ほど『氷結』と関わる中で印象深かったのは、「シャルドネスパークリング」だと言う。
「『搾りたてのシャルドネ果汁を一度でいいから飲んでみたい!』と思い、シャルドネを使った氷結を作ろうとしたんです。リフレッシュ休暇を取得した際にフランスやイタリアへ行き、ワイナリーを回りました。『このフレッシュなシャルドネ果汁を無味無臭のピュアなウォッカと混ぜて商品にしたい』と口説いたんです。そのままでおいしいワインになるものを、なぜウォッカと混ぜなくてはいけないのか。相手にとっては驚きの申し出だったと思います」
相手の懐に入るのがうまいのか、そのコンセプトに賛同してもらえた。さらに、旅の初日に財布を盗まれ持ち金をすべてなくしてしまった佐野さんに、訪問したワイン農家がその後の旅行費を貸してくれるというエピソード付きだ。
突然の環境変化に
そうして走り続けていた36歳のころ、「経営のことを何も知らない自分」にふと気が付く。男女問わず尊敬する人を考えたときに、ロールモデルとして女性だけでなく男性が頭に浮かんでいた。今の自分に足りないのは経営やビジネスの知識だと思った。そこで会社の留学制度を利用して、米マサチューセッツ工科大学のMBAコースへ。
1年でMBAを取得し帰国すると、すぐにオーストラリアのグループ会社へ出向。日本の親会社から来て何ができるのか?とけっして歓迎されないムードの中でのスタートだったが、着実に実績を出し、現地スタッフの信頼も得た。3年後に帰国してコーポレートブランドを担当する。その後配属されたのが、現在の事業創造部。初めての社長直轄だった。
「社長直轄なので、これまでのように細かいことを相談できる人がいないのです。今までは、企画書を作って上司に承認してもらうことを当たり前に思っていたんだと気が付きました。これからは、何が起きても責任は自分にある。そういう環境にしばらく慣れず、一つのことに絞れず複数のプロジェクトを走らせてテストばかりしていた」
はたと胸に浮かんだのは、社長が告げた「このままだと、お前の船は沈むぞ」という言葉。そこから心機一転して「何をやらないかを決めました」。社内公募で意欲の高い人材を集め、芽の出なそうな事業はカットしていった。その結果ターゲットを絞ったのが、免疫領域の基礎研究である「プラズマ乳酸菌」だった。
「これまでは商品のマーケティングでしたが、健康に関わる領域では『技術やサイエンス』が対象。医療関係の方々や調剤薬局、食品メーカーなどと組んで、サイエンスを活用していきます。サイエンスに支えられた素材が広まり、お客様に摂取していただくことで、皆さまの日々の健康を支えていく。そういった取り組みです」
佐野さんは、「食品メーカーとして、口にするものを通して、世界中の人たちを幸せにしたい」と言う。お客様を笑顔にするのはもちろん、世界を相手にするメーカーとして、安全な品質を届けたい。そう話す佐野さんの瞳には、大手メーカー社員としての責任感と、新たなチャレンジをするワクワク感が同居していた。
一問一答、佐野さんのお気に入り
Q:朝のルーティーンは?
トロピカーナの100%ストレートグレープフルーツジュースを飲むこと。これがないと一日が始まらない。
Q:お気に入りのファッションアイテムは?
洋服や持ち物にコンセプトカラーを入れている。今は担当する『iMUSE』シリーズのブルーとゴールドを。
Q:愛読書、現在読んでいる本は?
「きょうの猫村さん」がほっこりして好き。英語版もネットで読んでいる。
Q:欠かせないスマホアプリは?
猫を集めるだけのゲーム「ねこあつめ」。通勤中などに癒されている。
Q:人から受けたアドバイスで心に残っているものは?
「どうせやるなら大きいことをやれ」
磯崎社長(キリンホールディングス株式会社 代表取締役社長 磯崎功典氏)に言われた言葉。かかるエネルギーは、小さなことをやるのもそれほど変わらないなら、小さなことをやるのはもったいないという意図。
Q:1か月休みがあったら何をしたいですか?
ギリシャのサントリーニ島へ行き、猫に囲まれたい。
Q:今会いたい人、会って話を聞きたい人は?
留学先のMITの先輩である、国連事務総長のコフィー・アナン。亡くなってしまったけど、一度でいいから会ってそのオーラを直接感じたかった。
撮影/柳原久子

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