「皆さんこんにちは! 変わった名字でしょう? えんみちゃんって呼んでください」
神奈川県立の定時制高校。体育館に集まった生徒たちを前に、笑顔でマイクを握った。ロングヘアーはトレードマークのお団子に束ね、動くたびワンピースの長い裾がゆれる。朗らかに高校生に語りかける姿は、一見すると子ども番組の“歌のお姉さん”のようだ。
大学2年時から13年間、全国の中学や高校などで性教育の講演を続けている。これまで訪れたのは、北海道から九州までおよそ700か所以上。週4日、産婦人科医としてクリニックや病院で勤務するかたわら、大学院にも通い、プライベートでは1歳の女の子の母親でもある。
遠見才希子(えんみ・さきこ)さん
神奈川県生まれ。2011年、聖マリアンナ医科大学卒業。現在、筑波大学大学院社会精神保健学分野博士課程在籍。大学入学後、性教育におけるピアエデュケーションに出会い、「えんみちゃん」のニックネームで、自分や友人の経験談などを本音で語る講演活動をはじめる。全国の中学校・高校などで「気軽に楽しくまじめに性を語り、考える場」を広める。著書に「ひとりじゃない 自分の心と体を大切にするって?」(ディスカヴァー21)。
性を考える場が欲しかった、ないなら自分でつくろう
講演を始めたのは、二浪の末に医学部に入った2年生のとき。若者に性教育の講演を続けている医師・岩室紳也氏との出会いがきっかけだった。「イマドキの若者は寂しいからセックスをする」。岩室先生の言葉に、高校時代の自分が重なった。親が離婚し、進学校での成績はいつも最下位。遅刻や欠席をくりかえし、居場所を求めて寂しさを恋愛で埋めていた。
「あなたにしか語れないことがあるはず」という岩室先生の言葉に背中を押され、自身の体験談も交えて中高生に向けた講演をはじめると、「すごく心に響いた」「えんみちゃんの話、もっと早く聞きたかった」との反響が相次いだ。手応えを感じるとともに、思春期の中高生が性の悩みを相談する先がほとんどないことに驚かされた。
「自分の月経周期がわからない女子生徒、AVをセックスのお手本にする男子生徒。彼氏が避妊を嫌がり妊娠してしまった、知人にレイプされた、などの体験を講演後こっそり打ち明けてくれる子たちもいました。でも、ほんとうにこの子たちが悪いんだろうか。“性に関する話はタブー”という風潮のなかで、正しい知識を伝えずに、性の問題に向き合ってこなかった社会に責任があるんじゃないのか」
講演では、妊娠のしくみから避妊、中絶、性暴力、HIVなどの性感染症、セクシュアルマイノリティまで、幅広いテーマを扱う。口コミで評判が広がり、全国から依頼が舞い込むと、「専門家でもない学生のくせに」という批判や、他人からわいせつな画像が送られてくるなどの嫌がらせを受けるようになる。でも、何も知らないまま性の経験を重ねる中高生に出会うたび、傷つく若者を一人でも減らしたい、との使命感に突き動かされた。
「大人が伝えられないことを、今の自分だからこそ伝えられるかもしれない。何を言われたって、自分が直接見て聞いて感じたことだけを信じればいい。そう思って今まで続けてきました」
笑顔を咲かせる医師になる
「患者さんに寄り添って笑顔を咲かせる産婦人科医になりたい。そして、診察室で待っているだけじゃなく、外に出て発信していく医師になろう」
活動を通して、産婦人科医を志すようになった遠見さんは、大学卒業後、研修教育に定評のある千葉県の亀田総合病院に入る。最初の2年間は初期研修医として、さまざまな科を経験した。
「泣いてばかりの落ちこぼれでした。日々多くの患者さんが来て、元気になる人もいれば、治療を打ち切らなければならない人、亡くなっていく人もいる。葛藤や重圧で心が擦り切れそうになった時期もありました。“医師というのは、人の死も扱う仕事なんだ”という当たり前のことを痛感した2年間でしたね」
その後、産婦人科での3年間の研修が始まると、休みは月に1、2日という超多忙の日々が待っていた。「目が回るくらい忙しいけど、楽しくて、もう馬車馬のように働きました。働きすぎだったかもしれませんが、毎日とても充実してたんです」
子宮がんに卵巣がん、子宮筋腫に内膜症、不妊、更年期——産婦人科で扱うのは、妊娠出産だけではない。順調だった分娩が、突然一分一秒を争う緊急事態になることもある。でも、あたらしい命が産まれる瞬間は、何ものにも代えがたい喜びだ。
「産婦人科の仕事って、辛いことと幸せなことが半分半分なんですね。妊娠をあきらめなきゃいけない患者さんがいたり、赤ちゃんが亡くなってしまったりする一方で、日々“おめでとう”って言えるお産がある。辛いことばかりじゃないから、やってこれた。天職に巡り合えたと思っています」
忙しい勤務の合間をぬって講演にも出向き、現場で感じた思いをこんな言葉で中高生に伝え続けた。
「初めてお産に立ち会って赤ちゃんがオギャーって産まれたとき、わたし涙が止まらなかった。まわりの人たちが一斉に“おめでとう”って言うんだよ。こんなに幸せな光景があるなんて知らなかった。どうかすべての人にとって、出産するということが祝福されることであってほしい」
不妊、出産を体験して
30歳で結婚してしばらくすると、自身が不妊と向き合う立場になる。7年勤めた総合病院を離れた遠見さんは、大学院進学という道を選んだ。
「不妊を体験したことは、産婦人科医として本当に貴重な経験だったと思います。『結婚して何年目? お子さんは?』なんて何気ない一言が、当人にとっては辛い。ほしいけどできない、ということを身をもって体験できたのは、大きいですね」
大学院では、人工妊娠中絶や性暴力について研究する。講演をするなかで、一度腰を据えてじっくり知識を深める必要性を感じていた。
「性と生殖に関する健康・権利(※)に関して、日本は本当に後進国。“コンドームをつけることを教えると、若者がセックスをするようになって性が乱れてしまう”なんて謎の説を信じている大人がまだまだたくさんいる。避妊法の選択肢は少なく、中絶の手法も世界水準からしたら何十年も立ち遅れているんです」
※人々が安全で満ち足りた性生活を営むことができ、子どもを持つか持たないか、いつ持つか、何人持つかを決める自由をもつことなどを意味する。セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス&ライツ。
2018年、不妊治療の末、女児を授かる。生後3か月でクリニックでの勤務にも復帰し、講演活動も再開した。子育てをしながら仕事と研究に向き合う日々は、慌ただしいけれども愛おしい。子どもを持ったことで、大人も子どもと一緒に性の問題を考えなければならないという危機感はさらに強まったという。
「日本では1日におよそ450人の女性が中絶をしている。その理由や背景は人それぞれ違うんだ」
「誰かと付き合ったら相手が一番って思うかもしれないけど、まず一番大事なのは自分自身」
「いつ誰とセックスをするのかは相手を尊重したうえで考えること。そのためには対等な関係で、お互いの気持ちや体のことや、セックスしたら起こりうることを知らないといけない」
「性暴力は家族同士、恋人同士、友達同士、男同士、女同士でも起こりうるんだよ」
講演で何百回と繰り返してきた言葉に、子を持つ親としての重みも加わった。
ゆくゆくはひとつの地域に根ざした医師になるのが夢。「ライフワークです」という講演は、依頼されるかぎりずっと続けていくつもりだ。
「21歳だったわたしが話せること、34歳になったわたしが今話せること。内容は違っても、その時々の経験から生まれる言葉で相手の心に響かせることができればと思うんです」
飾りのない等身大の言葉だからこそ、聞き手の心にまっすぐに届く。「たった一人しかいないあなたを、一度きりの今を、どうか大切にして。でも失敗しても傷ついても、どこからでもやり直せる。だから大丈夫」。
高校生の頃、自分が一番聞きたかったメッセージを言葉にして、草の根で発信を続けていく。
一問一答、遠見さんのお気に入り
Q:朝のルーティーンは?
子どもの着替えと朝食を済ませ、朝ドラの主題歌を一緒に歌い、すっぴんでバタバタと家を出る。
Q:現在読んでいる本と、愛読書は?
忙しくてなかなか時間が取れないため、読むのは研究や性教育のための実用書ばかり。『ひとりじゃない』は大学6年生のときに出版した本。活動を通じて得たさまざまな出会いや中高生たちの生の声が書かれている。
Q:お気に入りのファッションアイテムは?
黄色いバッグ。元気をくれるから黄色が好き。
Q:デスクの上には何を置いていますか?
性教育の講演で使うもろもろの仕事道具たち。コンドームや子宮内に入れる避妊リング(ミレーナ)は、さまざまな避妊法を伝えるため。「コンドームをしない男は挨拶できない男と同じ」という、有名なAV男優のことばも紹介する。
また、風船はふくらませて卵巣に、紙パペットは精子や卵子に見立て、妊娠のプロセスをわかりやすく伝える。
Q:欠かせないスマホアプリは?
「Baby365」。1日1枚子どもの写真とコメントを登録すると、1年分をまとめて製本してくれる。
Q:人から受けたアドバイスで印象に残っているものは?
「“命を大切にしよう”というスローガンよりも、経験を語る」
性教育の講演を始めるきっかけをくれた岩室先生にもらった言葉。「人は話すことで癒やされる」とも。ストレス解消はおしゃべり。問診では患者さんの話や背景に耳を傾けることを大切にしている。
Q:1か月休みがあったら何をしたいですか?
子どもと過ごしつつ、子ども向けの性教育の絵本や大学院の論文を書きたい。中絶・流産に関するWebサイトをつくりたい。
Q:今会いたい人、会って話しを聞きたい人は?
タレントのつるの剛士さん。同じ湘南に住んでいる。体のプライベートパーツについてやさしく教える子ども向けの歌を一緒につくりたい。つるのさんに歌ってもらって、振り付けもできたらうれしいな。
撮影/柳原久子 取材・執筆/中村茉莉花(Cafeglobe編集部)

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