2045年、人工知能(AI)と人間の能力が逆転する「シンギュラリティ(技術的特異点)」を迎えたら、私たちの仕事や暮らしはどう変わる?バイオアートの第一人者・福原志保さん迎え、未来の死生観を考えるシリーズ。今回のテーマは、死後の「自分」のあり方について。前編はこちら。
先端テクノロジーが、身近なところに降りてきた
——バイオアートの最前線にいる福原さんにとって、未来はどんな景色でしょうか?
福原志保(以下、福原):私は以前、東京のインターコミュニケーション・センター(ICC)で開催された「オープン・ネイチャー」展(2005年)で『バイオプレゼンス 2055』という作品を発表しました。前述の『バイオプレゼンス(Biopresence)』(2004年)の発展形で、2055という数字は「50年後の、2055年の世界はどうなっているのか」という問題提起からきています。
当時と比べると14年しか経ってない2019年の現在でも、DNA解析の速度や技術はグンと効率がよくなりました。21世紀の初頭には、バイオテクノロジーなんて資金力のある研究所でしかできなかったものですが、今ではここ……渋谷にあるFabCafeMTRL内に併設されたBioLabでも、簡単な遺伝子組換え実験くらいはできるほどに変わっています。
東京・渋谷 FabCafeMTRL内にあるBioLabの風景
閉じられたテクノロジーが、よりオープンになってゆくことで、2055年にはどんな風景が見えてくるのだろうかという問いは、シンギュラリティにもつながっていきます。たとえば、今後コンピューテーションが発達して、もっとコンピュータが小さくなり、テクノロジーがあらゆるものに遍在化して当たり前になれば、もう「テクノロジー」なんて言わなくなる日もくるかもしれません。
バイオテクノロジーにしても、「遺伝子組換え」と言われると思わず身構えてしまうけれど、いわゆる「交配(こうはい:繁殖や品種改良・育種などのため、人為的に受粉や受精を行うこと)」なら、昔から行われてきているものです。ひとたび安全性が担保されれば、それらを活用した商品やサービスが出てくるのでは、と思っています。
「テクノロジー」と言わなくなる日もくる!?
激しい「変化の波を読む」のがアーティストの役割
——今私たちが想像している以上に、技術や時代性が変わるのは意外と速い、ということですよね。
福原:私の父は現在92歳ですが、18歳のときに終戦を迎えました。戦場に行かずにすんだ代わりに、「お国を護る」という将来の目標を失ってしまった彼は、その時に「30年後の日本はどうなっているか?」を考えて、歯科医になりました。
——終戦直後なんて生きるのに精一杯だったでしょうが、いつかは歯を大切にする社会が来るだろう、と。慧眼ですね。
福原:でも、これから私が生きてゆく30年間と、父の頃の30年間では、かなり様子が違うでしょう。技術も経済も、変化の波がどんどん激化していますから、今から30年後は正直想像しづらい。いや、10年後でも厳しいでしょう。
にもかかわらず「50年後」なんて言ったら、それこそSFみたいな話ですよね! 普通に考えたら、未来予測なんて不可能です。それでもなぜそんな「(雲をつかむような)未来のことを考えなければいけないのか」というと、アーティストって、いつも遠くを見ている人が多くて……そこで「おっ!」と気づくわけです。
私は以前、サーフィンをやっていたのですが、ずっと海を観察していると、パターンが読めてきます。遠くの海を見ていると「波が来るかもしれない」という予兆が、だんだんわかってくる。
そうやって、わかるはずのない未来を無理やり空想してゆくと、亡くなった人の遺伝子が木の中に宿り、50年後にはこれくらい育っているだろう……という(『バイオプレゼンス』で提示したような)風景が思い浮かんでくるわけです。木はお墓よりも身近だし、見た目も怖くないので、受け入れられる余地もあるのではないか、と。
とはいえ、実際に作って植えようとすると、それはそれで「不気味だ」とか「前例がない」ということで、警戒されることも事実です。でも、そうした“波風を立てる”ことが、問題提議としてのバイオアートの使命だと思っています。
三世代先にも、“想いを継承する”ために
福原:また、自分の体験からしても、「亡くなった方の話をする」のは、せいぜい三代先ぐらいまでが限界です。それ以前のご先祖様は、それこそ文献にでも記録が残されていないと、なかなか話題にあげづらい。家族内の会話でも触れられないので、忘れられがちです。
「三世代を超えたら、私のことも忘れ去られちゃうのかな」と思うと、死が急に怖くなります。恐怖や苦痛ではなくて、忘却されるのが怖い。だったら、死んだ後でも木の一部分になることで、50年以上経過しても子孫が木登りとかしてくれたら嬉しいよね、という気持ちもあって、先の作品をつくりました。
死んだ後、忘れられるのは怖い
なので「2045年の死生観」について思うのは、生前の故人のさまざまなデータを残すこと自体は可能になるだろうけれど、それとは別に、故人固有の“想い”をどうやって後世に残すのか、という課題があります。
単に「名前を覚えていてほしい」わけではなくて、“その人らしさ”のエッセンスを残したいし、伝えたい。そういう願望は、おそらく2045年になっても変わらない気がします。
たとえば私には10歳の娘がいますが、私は彼女にどういう“想い”が残せるでしょうか? 彼女が「どうやって生きていけばいいか」に関する私なりの“想い”を残せれば、死はだいぶ怖くなくなるのでは、と思うのです。
——それは写真や映像などの方法では、伝わらない?
福原:単に膨大量のデータを残すだけじゃなくて、故人が「なぜそれをやっていたのか」という“意図”の部分を残さないとダメでしょう。
単に「忘れられない」のみならず、人の“想い”を伝承してゆく。バイオテクノロジーを通じて、そういうことを考えるケーススタディとして着想したのが、この『バイオプレゼンス』というプロジェクトだったわけです。<後編に続く>
福原志保(ふくはら しほ)さん/バイオアーティスト
2001年、英セントラル・セント・マーチンズ卒業。2003年、ロイヤル・カレッジ・オブ・アート修了。2004年、オーストリア人アーティスト、ゲオアグ・トレメルと共同で「BCL」を結成。亡くなった人の遺伝子を樹木に埋め込んで新たな墓標を提供する「バイオプレゼンス社」をロンドンで設立。2007年より活動拠点を日本に移す。早稲田大学理工学術院研究員を経て、現職。
聞き手/MASHING UP編集部、撮影/中山実華、構成/木村重樹
取材協力:FabCafeMTRL(ロフトワーク)、ヘアメイク:ERI
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