いくつもの工程を経て生み出され、私たちの食卓を彩りあるものにしてくれる器。「手にとる人の気持ちが、いつもより少しでも豊かになってほしい」と思いを込めるのが、陶芸家・岡崎裕子さんです。
陶芸という手仕事に魅せられ、飛び込んだ修業の道で得たものは。そして時間とともに変わりゆく作風や、病を経てたどりついた思いとは。神奈川県横須賀市にある岡崎さんのアトリエを訪ね、お話を聞きました。
岡崎裕子さん
1976年、東京都生まれ。二十歳のときに株式会社イッセイ ミヤケに入社し、広報として勤務。3年後に退職し、茨城県笠間市の陶芸家・森田榮一氏に弟子入り。4年半の修業後、笠間市窯業指導所の釉薬科・石膏科を修了。陶芸教室での勤務を経て、30歳のときに神奈川県横須賀市にて独立。多くのファンを持つ。また、がんサバイバーであることを公表し、自身の体験を伝えている。著書に『器、手から手へ』(主婦と生活社)がある。ホームページ
修業時代に経験した、つつましくも豊かな時間
「手仕事の道へ進みたい」。そう決心してファッションの仕事に終止符を打ち、陶芸家のもとへ弟子入りしたのが23歳のとき。もう20年もの時間を陶芸に注いできたことになります。白いマットな釉調とふっくらとあたたかみのある質感、立体的な加飾が岡崎さんの器の特徴です。
なかでも代名詞となっているのが“トンボ”のモチーフ。
「ガレやドームといったアールヌーボーのガラス作品に対する憧れがあり、陶器でも3Dの装飾をしてみたいと思ったのが始まりです。修業していた茨城県の笠間市で飛んでいたハグロトンボがとてもかっこよくて素敵だったのと、修業時代の気持ちを忘れないようにとの思いも込めて取り入れました」
初めて親元を離れ、家賃2万円の平屋に暮らした修業時代。朝早くから陶房の掃除をして、9時から18時までを作業場で過ごし、帰って食事をして、古本屋で買った本を読み、床につくという毎日。しかし、この陶芸漬けの毎日が「つつましくも、豊かだった」と岡崎さんは振り返ります。
「毎日を淡々と積み重ねていくということの大切さを知りました。そんな日々で身をもって感じたのが『器は暮らしを豊かにしてくれる』ということ。お金がないなかで、ようやく手に入れたお気に入りの器に盛りつけると、野菜炒めといった簡単な料理でも本当においしく感じられて……。小さなことに幸せを感じることのできる学び多き5年間でした」
人生の歩みとともに、作風にも少しずつ変化が
岡崎さんの器でもうひとつ特徴的なのが、内側に装飾を施したボウルです。作るきっかけとなったのは、お子さんでした。
「子どもがおなかにいるとき、自分のことを“命を入れた器”だと感じることがあったんです。そのときに作ったのがボウル。それまでは直線的な板状のお皿をよく作っていたんですが、そのときは丸くてやさしく包み込む鉢状で、内側にレリーフを描き、“器は内包するものだ”と感じた思いを込めました」
作陶の工程で一番好きなのは、色やレリーフを施す「加飾」の作業。しかし、最近新しい発見があったのだとか。それは、レストランから注文を受けた、何の装飾も施さないシンプルな器を作ったときのこと。
「ひと目で“岡崎裕子の作品だ”とわかるようなオリジナリティを持つことが、作家として一番大切なことだと思っていたんです。だからこそ加飾にこだわっていたのかもしれません。一切のレリーフがない器でも、私の作品だとわかってくれて、好きと言ってくださる方がいる。そのことを知って肩の力が抜け、『もっと自由にやろう』と思えるようになりました。そんな気持ちになったのは、20年やってきて初めてですね」
がんとがん患者への社会の偏見をなくしたい
2017年、そんな岡崎さんに予期せぬ病が襲いかかります。人間ドッグは受けていたにもかかわらず、妊娠と授乳をしていた3年間、マンモグラフィ検査が受けられなかった時期に罹患。乳がんでした。
抗がん剤治療の副作用も経験しましたが、髪が生えてきてからはウィッグを外し、ベリーショートも楽しみました。「これが好評で、病気のことを知らない方からは、今でも『あの髪型が好きだったのに、伸びたわねえ』なんて言われるんですよ」と岡崎さんは笑います。
現在は、一般社団法人「CancerX」の理事として「がんと言われても動揺しない社会へ」を掲げ、がんと診断された患者さんとそのご家族、その方々を取り巻く社会、そして医療従事者に向けた情報を発信しています。その原動力は「がんに対して、正しい理解を広めたい」という思い。
「がんといっても種類やステージ、治療の見通しも違うので一概には言えませんが、闘病しながらでも社会と関わっていたいのです。でも、周りが病状をおもんばかるあまり『会社を辞めて治療に専念して』『からだがつらいだろうから』と仕事を辞さないといけない雰囲気を作ってしまったり、『お子さんがかわいそうに』と泣いたりしてしまうと、当事者は孤独になってしまいます」
正しい知識をもって見守り、当事者がどうしたいと思っているのか、待ってあげてほしい。本人や家族が病気を隠さずに生活できる社会づくりを——。岡崎さんはそう訴えます。
岡崎さん自身、手術後の後遺症のことが心配で「もう子どもを抱くことはできないのではないか」と悩んだときもあったそうです。でも、術後もお子さんを抱っこすることも、筋トレもサーフィンもできて、違和感はあるものの、手術前とほとんど変わらない生活を送っています。
「罹患と治療を経験するまでは、がんになったら副作用のせいで日常生活は一変するものだと思っていました。しかし、思いのほか普通に過ごすことができたので、私の場合は周りに言わずに乗り越えることができました。ただ、病気のことを隠すこと自体はとても大変でした。周りの理解があればがん罹患者が孤独を感じることなく社会と関われると思うし、そういう社会にしたいと強く願っています」
「私の命に限りがあっても、器は後世まで残っていく」
病気を宣告され、命の終わりについても考えたという岡崎さん。仕事場に立ち、作品を眺めながらこんなことを考えました。
「私がいなくなっても、この器たちは子どもの代、そしてその先まで残っていく——。私はとても尊いことをさせてもらっているのだなと思ったんです。ここに残したままだと、せいぜい身内で形見分けされるだけ。だったら好きと言ってくださる方のもとへたくさんお届けして、器にそこで時を重ねてもらいたい、って」
治療後、再び仕事場に戻り、続けられることの幸せを感じながら作陶に励む日々。気持ちにブレが生じると、ろくろの粘土はすぐにゆがんでしまうため、気持ちに波を立てないことを心がけ、呼吸を落ち着けて臨みます。
「陶芸も暮らしも、毎日を淡々と積み重ねていくことでしか、何事もなされていかないと思っています。修業時代と同じですね。何段か飛ばして高いところを目指してもダメ。その日にやるべきことをやって、次の日もやるべきことをやって。日々を丁寧に積み重ねることを続けて、振り返ったときにきちんとした足跡が残っている。そんな生き方をしたいですね」
毎日を淡々と、丁寧に時を刻んでいきたい
丁寧に毎日の暮らしを重ねていく岡崎さん。その手元で確かな時を刻み続けるのは「シチズンxC(クロスシー)」の新コレクション「hikari」。
ふだんはマニッシュなデザインの時計を選ぶことが多いという岡崎さんですが、この時計は「ピンクがかわいい」とお子さんたちからも好評だそう。シルバーカラーとコンビになっているのは「サクラピンク」という、女性の肌を明るく美しく見せてくれるシチズンだけのコーティングです。
シチズン クロスシー hikari collection Titania Happy Flight ES9445-57W 78,000円(税別)
この時計をつけた第一印象は「とにかく軽くて驚きました」と岡崎さん。たった34グラムという軽さを実現する「スーパーチタニウム」は、肌にやさしいのも特徴です。「デュラテクト」というシチズン独自の表面硬化技術でキズがつきにくく、高い防水機能を備えています。
また、お子さんの送迎や仕事の打ち合わせなど、まさに“分刻み”で行動する岡崎さんにとって、うれしいのは「正確さ」。太陽や部屋の光で充電できるので電池交換は不要。日付・時刻合わせをせずとも確かな時を刻む電波時計で「気がついたら時計が止まっていた」なんて事態も回避できます。
陶芸の世界へ足を踏み入れて20年が経ち、ようやく「もっと自由に」と作陶に向き合えるようになったと語る岡崎さん。お話をうかがい、作品、そして生き方にもっとふれてみたくなりました。
取材・文/大森りえ、撮影/小禄慎一郎
[シチズン]
Sponsored by シチズン時計株式会社
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