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「違い」ではなく、共通点を語ろう/NPO「APANO」事務局長 チ・ウェン[中編]

APANOワナとカルメン

「APANO」スタッフのワナ(右)は自身が、カルメン(左)は、母が中国からの移民だ。

8歳の時にベトナムからアメリカに難民として移住。アルバイトや奨学金を得て大学を卒業し、起業家や政治家を経験した後、オレゴン州・ポートランドでアジア太平洋の移民を支援するNPOの事務局長をしている女性がいる。まだ38歳。同性婚の「元妻」との間に2人の子どもをつくり、今は離婚してシングルマザーとして働く。「多様性」「マイノリティ」を体現しているようなその生き方とは?
前編はこちらから⇛

さて、あちこち旅して回ったノルウェーから2004年に帰国したチ・ウェン。「あら大変、就職しなくっちゃ、って(笑)。何をしよう?と思って、小さな広告会社で働くことにしました。大学でマーケティングを勉強して、消費者の行動にすごく関心があったから」

友達や家族を救うため、起業

最初の会社を9か月で辞めた後、レンタカー会社に転職する。彼女は社内でカーシェアのプロジェクトを始めて順調だったが、2008年の金融危機で周囲に失業者が続出。彼らをなんとかしなければと起業を考え始める

そして2010年、カーシェアから着想を得て、彼女は車の清掃と修理のモバイルサービスを始める。いつでも車を清潔に、そして整備された状態に保つため、技術者が車まで来てくれて、駐車場などでサービスをしてくれるのだ。

友達や家族が解雇されて……ホテルの清掃の仕事をしていた人もいたので。そういう人材が活躍できると思ったんです。トイレを掃除するんじゃなくて、車の清掃は?って。家のフローリングの内装をしている友達も、人々がリフォームをする余裕がなくなったから一気に仕事が減って、彼にも声をかけて。みんなを救うための起業でもあった

そのためのモバイルアプリも開発した。会社の名前はオートメディック。「現場に出て車の救急医療をするから」

投資家とのネットワークを築くために大学院に通い、MBAも取得した。が、会社は成長していたのに、ビジネスプランや実績を話す以前に会ってもらえないことがあった。「私が若くてアジア系で女性というだけで、会ってくれない。真剣に取り合ってもらえないんです。私がもう2000台の車を管理するようになっていてもね」

価値をつくり出すことが好き

彼女は2016年にもう一つの会社を作っている。それはキノコの漢方薬の製造販売だ。彼女の母が非常に珍しいタイプのがんにかかり、身体に負担のかかる化学療法は避けたいとあれこれ調べた結果、ある種のキノコが効くという研究があった。それを入手するために彼女がとった方法は、製品を買うのではなくて、「つくる」ことだった。「その方が安く手に入るから」。

オレゴン州内にキノコ農家があることがわかると、たずねていって、漢方用のキノコを作ってくれないかと交渉。それから、粉末にしてカプセルに詰める工場のラインを借りて製品化。ウェブサイトを作って通販を始めた。「母のガンは9か月で消えて、それから4年以上たつけど、再発もない」。

といっても、製造販売だなんて、というと彼女は「製品を作る会社は全然楽」といって笑った。「最初にオートメディックっていうサービス業をやったけど、事業が成長して人を多く雇うほどに頭痛の種が増えた。それに比べたらプロダクトは楽! もしまた何かをやるとしたらプロダクトがいいと思ってる」

起業は面白く、苦労はありながらも会社は成長した。「価値をつくり出すことが好き。マーケティングってまさにそういうことでしょ」という彼女のセンスにも起業は合っていた。この二つの起業の間に、人生の大きな変化があった。一つは結婚。もう一つは市議になったことだ。

apano5

コミュニティセンターの責任者のベー。ニューヨークで生まれ、母は中国、父はスイス出身と、これまた多様性を地でいく。

社会に変化をもたらすには、システムを変えるほうが早い

結婚は2011年。同性婚だった。彼女はバイセクシャルだ。結婚と共にオレゴン州のキングシティという人口2300人あまりの小さな市に移り住んだ。キングシティは高齢者、特に退役軍人が多く住む街だった。「市の税収も限りがあるし、市議もみんな白人の高齢者ばかり。だから私が市議になって、市政に若いエネルギーや創意工夫を吹き込みたいと思った

こうも思った。

「人生は短い。社会に変化をもたらすには政策を、システムを変えるほうが早いんじゃないか」と。

「私は無駄が嫌いで効率的な事が好きなの。だから、成果をあげるには政治を変えるのが早いんじゃないかと思って」

それまで政治家になろうと思ったことはなかった。「お金を稼いで家族を養いたいと思っていたから」

ただ、価値をつくりだすのが好き、という彼女の志向も政治家に向いているといえるかもしれない。政治家とは自分が描くビジョン、価値を人に示して共感してもらい、それを実現していく仕事だからだ。

絶対に「違い」について話さない

そして彼女は2015年に市議に就任する。キングシティは「シティマネージャー」制をとっている。シティマネージャーとは市議会が任命して実質的な市政を担うトップだ。市長はいるが、名誉職的な役割を担う。市議となった彼女は、高齢だったシティマネージャーに引退を促し、30代の若いシティマネージャーを任命するために動いた。「変化をもたらす人、チェンジ・エージェントを雇ったんです。彼は新しいことにいろいろと着手して、市政に活力が生まれた」。

まさに異分子だった彼女は、市議会や有権者の「おじさま」たちに反発を受けなかったのだろうか? それには彼女の政治手法が効果的だった。

今の世界を語るキーワードの一つは「分断」だろう。違いを誇張し、相手を理解しようとせず、対話を拒否する。彼女の姿勢、やり方はこれとはまったく逆だ

私は絶対に『違い』について話さない

それは市議時代もそうだった。有権者の多くは白人で、高齢で、男性。まさに違いのてんこ盛りだが……。「彼らは私の祖父と同じ世代だと思った。祖父は軍人だったし、彼らの多くは第二次大戦で従軍経験があった。だから、祖父に接するのと同じように接すれば良いと思ったんです。それに、高齢者は社会で軽視されがちだけど、それは移民や有色人種も同じ。だから私は、弱い立場の人を守りたいんです、と彼らに語りかけた。違いを言うのではなくて、共通点や似ていることについて話したんです

APANO_ミーティング

「APANO」全体ミーティング。

ドアを破ることこそが、生き延びる術だった

なぜそうなったのか。「それが私の生き延びる術だったから。私はアメリカに難民としてやってきて、いつでも閉じた扉を破らなきゃいけなかった。私はいつも最初の女性で、最初の有色人種で……そして最初のLGBTQにもなった」

加えて、市議会に子どもを連れて行った最初の市議になった。彼女は2014年に長男を出産していて、市議になった時、まだ母乳を与えている時期だったからだ。保守的なおじさま市議は大丈夫だったのか?「彼らは保守的だからこそ、温かい目で見てくれた。だって家族はすべての基礎だから。良い子だねえ、大事にしなさいと言ってくれた」。このあたりが日本とは全く違うところだ。

だが、2017年、彼女は任期途中で市議を辞任した。彼女のパートナーが州都セーラムに仕事を得たため、引っ越す必要があったからだ。「私の人生の中心は家族なんです。でも私が市議になった後は、女性や若い人や有色人種が市議になって続いた。市議会がとても多様になったんです」。

最終回の次回は、彼女が今働くポートランドのNPO「APANO」の仕事について紹介する。


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秋山訓子
朝日新聞編集委員。東京大学文学部卒業。ロンドン政治経済学院修士。朝日新聞入社後、政治部、経済部、AERA編集部などを経て現職。著書に『ゆっくりやさしく社会を変える NPOで輝く女たち』(講談社)、『女子プロレスラー小畑千代―闘う女の戦後史』(岩波書店)、『不思議の国会・政界用語ノート』(さくら舎)『女は「政治」に向かないの?』(講談社)など。

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