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人生と仕事、両方のパートナーとして #ふたりで社会を変える

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中村俊裕さん(左)とエヴァ・ヴォイコフスカさん。

社会課題に取り組む。社会をよくする、少しでも。
この壮大な取り組みに、パートナーと共に二人で立ち向かう、という生き方を選んだ人たちがいる。そんなカップルたちにインドネシアで出会った。

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中村俊裕さんとエヴァ・ヴォイコフスカさんはインドネシアのバリ島を拠点に、貧困問題に取り組むため2009年にNPO「コペルニク」を二人でつくり、運営している。貧困地域にシンプルなテクノロジーを使った製品を届け、企業と協業して貧困地域向け製品開発のための調査や検証などをしている。

たとえば、電気が家に通っていない人たちに、太陽光を利用したソーラーライト。水道がない人々に、川の水などでも飲料用にできる浄水器。ちょっとしたことが、途上国の現場では大きな違いをうみ、便利で何でもそろった先進国に住む私たちの想像も出来ない恩恵を受ける人たちがいるのだ。

国連での出会いと葛藤

二人は、もともと国連の職員で、出会ったのもインドネシアの国連事務所だった。その意味では、最初から問題意識は共有していたといえるだろう。

中村さんは大阪出身。高校時代に、当時国連で活躍していた明石康さんや緒方貞子さんを知り、自分も国連で働いてみたいという志を抱く。京大を卒業して、国連で働くことを念頭にロンドン政治経済学院(London School of Economics and Political Science)に留学。その後、ジュネーブのUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)でインターンをし、大手コンサルタントのマッキンゼー東京オフィスで一年半経験を積んだ後、UNDP(国連開発計画)に採用される。ついに念願がかなったわけだ。ここで、東ティモール、そしてインドネシアの事務所に配属。2004年のスマトラ島沖の地震の対応などで、エヴァさんと共に仕事をすることになり、「運命の出会い」となる。

週明けは全体ミーティングで始まる。

エヴァさんはポーランド生まれ。1975年生まれのエヴァさんが幼いころ、ポーランドはまだ共産党政権下にあり、エヴァさんの父は、労組として結成され、やがて民主化運動の中心となった「連帯」の活動家だった。エヴァさんが9歳の時、家族はポーランドを脱出、難民としてオーストラリアに渡る。「私は父から大きな影響を受けています。国連に入ったのも、コペルニクを立ち上げたのも、すべてその延長線上にあります」

その後、中村さんはアフリカのシエラレオネに転勤になる。すでにエヴァさんと一緒に住んでおり、エヴァさんも国連をやめて同行。現地のNGOで働くことを決めた。

「国連の仕事はやり甲斐があったし、誇りもあった。没頭していました」(中村さん)

だが、日々目にするすさまじい貧困に苦しむ人々に、自分のやっているこの仕事は届いているのだろうか。彼らを救えているのだろうか——。

「その葛藤は、どんどんふくらむばかりで」。

朝晩ふたりでアイデアを語り合った

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バリ島にあるコペルニクのオフィスで。

もともと二人は貧困地域の問題をどう解決したらいいのか、具体的なアイデアや方法についてよく話していた。二人ともお酒が好きで、ワインやウイスキーグラスを片手に、ということも。

シンプルな、でも貧困に苦しむ人々には大きな違いをもたらすテクノロジーを、現場に届けるのがいいのではないか。そう思いつき、朝に晩に週末に、二人で話し合い、アイデアはどんどん具体的なプランになっていく。

国連の仕事も順調で、2009年、中村さんはNYのUNDPに転勤になる。エヴァさんもUNDPに復帰。一方で、二人で作ったビジネスプランについても自宅に友人らを招いてプレゼンし、皆で議論してさらに磨き上げていく、というミーティングを始める。

そして、エヴァさんが団体を立ち上げ、中村さんはUNDP勤務のかたわら、週末に手伝うことを決めた。ウエブサイトを作るなど、次々に活動は形になっていく。団体の名前は、地動説を唱え、世界観を一変させて「コペルニクス的転回」という言葉として使われる科学者、ニコラス・コペルニクスからとった。コペルニクスはエヴァさんと同じポーランド出身で、もともとの表記はポーランド語の「Kopernik」だからだ。

二人でやることが自然だった

「ところが、この新しい活動が面白くて。どんどんのめりこんでいってしまったんです」(中村さん)

といっても慎重だった。まずは国連を休職、最初のプロジェクトであるソーラーライトを2010年、東ティモールの地域に届けた。そして中村さんは国連を去る。二人で団体を運営することに決めたのだ。

二人でやることが自然だったので」(中村さん)

オフィスは、二人の出会いの場所であり、現場に近く、ネット環境などのインフラも整っているインドネシアのバリ島に構えた。今ではスタッフも60人近くに増えた。

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オフィスの外観。

仕事の分担は、エヴァさんが主に総務や人事などのオペレーションや緊急支援プロジェクトを、中村さんがCEOとして全体の方向性を作り、渉外、データ分析などを担う。といっても、エヴァさんの発案から始まる事業もある。たとえば、「生理」のプロジェクトだ。そう、月に一度のあれだ。

インドネシアなど途上国ではまだまだ女性の生理は忌むべきもの、タブーとされ、生理中は家事をするのを禁じられたり、髪の毛を洗うこともできなかったりする。また、月々使う生理用品も入手しにくいこともあるし、プラスチックゴミのもとにもなる。そこでコペルニクではスタッフが生理について学校などで正しい知識を教え、布製で使い心地がよく、吸収力にすぐれて再利用できるナプキンを作って配布するプロジェクトを行った。

「今ではインドネシアの各地に、布ナプキンを作っている女性たちがいます。非常にうまくいったプロジェクトで、誇りに思っています」(エヴァさん)

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プロジェクトで開発した布ナプキン。

これ以上ない信頼関係で、ぴったり合う存在

二人でやっていいことは何か。中村さんは言う。

二人で人生をかけてやっているわけで、決断もスピーディにできるし、これ以上ない信頼関係がある」。

ではデメリットは?

「24時間一緒にいると、プライベートと仕事の境目がなくなってしまい、つい週末に仕事の話をしてしまって……、なんていうことがあります」

エヴァさんにとって中村さんは。「人生と仕事、両方のパートナー。彼はオープンで好奇心旺盛、新しいものに挑戦し、リスクを厭わない。ぴったり合う存在です」

「公正さや社会正義を追究したい、社会をよりよくしたいという思いは、私のDNAみたいなもの」(エヴァさん)。

今二人は、コロナウィルス関連の支援に取り組んでいる。

取材・撮影/秋山訓子

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秋山訓子
朝日新聞編集委員。東京大学文学部卒業。ロンドン政治経済学院修士。朝日新聞入社後、政治部、経済部、AERA編集部などを経て現職。著書に『ゆっくりやさしく社会を変える NPOで輝く女たち』(講談社)、『女子プロレスラー小畑千代―闘う女の戦後史』(岩波書店)、『不思議の国会・政界用語ノート』(さくら舎)『女は「政治」に向かないの?』(講談社)など。

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