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人は「男」にも「女」にもならなくていい/『男らしさという名の仮面』濱野ちひろ

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©『男らしさという名の仮面』

ノンフィクションライターの濱野ちひろさんが解説する「ドキュメンタリー映画が映し出す、この世界というもの」。第1回は男性像の固定概念に影響されるアメリカの少年たちを追った『男らしさという名の仮面』について。

私たちは誰一人として、生まれた瞬間から男らしかったり女らしかったりしない。目を開くのにも精一杯であるような生まれたてのほやほやのとき、私たちはまさか、自分の性別の確認と理解から始めるようなことはない。偶然に備えた性器の種類の違いによって、これから数年先や遅くとも十数年先には生き方がこれほど変わってきてしまうのだとは、生まれたその瞬間には夢にも思っていなかったはずだ。

ところがいつの間にか、私たちは男や女として生きるようになる。本人も知らぬ間に、その性別の「らしさ」を身につけさせられていく。スカートを選ぶことや、パンツしか履かないことといった、性別によって振り分けられている常識的な身なりをなぞるのは初歩の実践だが、毎日このようなことを繰り返していけば、次第に「自分はこのように振る舞うべき性別なのだ」と刷り込まれていく

さらに日本語には男言葉と女言葉があり、性別によって使うべき一人称さえ違う。性別による言葉の違いは明確かつ繊細で、語尾や表現方法にも差があるので、十分訓練しないと使いこなせない。しかし逆に言えば、訓練さえすれば、性別に関係なく両方の性別の言葉が使える。

FilmStill.Luis

©『男らしさという名の仮面』

このことが示唆するのは、「男」や「女」というものが、訓練の上で成り立つ実践的なものだということである。もっとわかりやすく言うなら、「男らしさ」や「女らしさ」は、練習を伴う演技に近い。練習を積めば積むほどその性別らしさはアピール力が高まる。

わかりやすいのは化粧や筋トレなどの行為で、どちらも練習をするほど効果が現れ、性別らしさを強調できるようになる。こういった行為を純粋に楽しめる人は、きっと自分の性別が置かれている社会的状況を楽しめるセンスを、幸運にも持ち合わせている人なのではないだろうか。

しかし私の意見では、性別らしさの演技や、そのために必要となる絶え間ない練習を心から楽しめている人の方が少数派である。多かれ少なかれ皆「らしさ」にはまらない自分にコンプレックスを抱え、魅力的でないと感じて自分を責めている。女性らしい/男性らしい体型を目指すダイエットやボディメイクが続かないのは、だらしない自分のせいだと思っている。しかし本当にそうだろうか。情けない性格だから、その性別らしくなれないのだろうか?

「男になれ」がもたらすもの

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© 『男らしさという名の仮面』

『男らしさという名の仮面』(2015年/アメリカ)は、アメリカにおいて男というジェンダーを生きる問題の数々を、インタビューを中心として描き出すドキュメンタリー映画だ。冒頭で、元NFL選手でコーチを務める男性はこう言う。「この国の男性たちに聞きたい。いつ、誰に、“男になれ”と言われたのか。この言葉は、この国の文化でもっとも破壊的なもののひとつだと私は強く思っている」。

「Be a man(男になれ)」

アメリカでは父親や身近な大人たち、あるいは先輩たちから、こう言われながら少年は育つという。少年たちはただ無邪気に生きているだけでは認めてもらえない。「男になれ」という言葉は、「周りを圧倒しろ、力を持て、支配者になれ」ということを意味している。

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©『男らしさという名の仮面』

「男なら弱みを見せてはいけない。泣くな」。このようなメッセージをひっきりなしに受け取るうちに、少年は感情を押し殺すようになる。男なら持つべきだという「力」とはいったいなんなのか、議論はなされず、頭ごなしに押しつけられる

力のイメージは身体能力や運動能力にまずは結びつけられていく。男ならスポーツをするべきで、演劇やコンピューターや料理なんかに熱中すべきではない。そして大人になれば経済力が男らしい力の象徴になる。有り余る金と権力、それから完璧に割れた腹筋で周囲を圧倒し続けていれば「男らしい男」とされるのだろう。

男ではないものを否定する側面

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©『男らしさという名の仮面』

アメリカにおける「男らしさ(masculinity)」は、男ではないものを否定し排除する性差別の側面を強く含む。男であるためには「自分は女ではない、ゲイでもないと証明し続けなければならない」。このような考え方は暴力的で危険極まりない。男であることを証明するためだけに、男たちは、男ではない者たちを利用する。どれくらいゴージャスな女とセックスをしたかが、男らしさを証明するための自慢話になる。女たちは男らしさを支える道具のように使われていき、そうなれば男女の関係は支配-被支配の関係に陥っていく。また、争いが嫌いだったり、男らしさの追求に興味を持てなかったりする男性たちは「男でない者」と見なされ、いじめの対象になる。本作によれば、4人にひとりの男児が学校でいじめられているという。

男らしさは、いったい誰を幸せにするというのだろう。その圧力のなかで、男性たち自身が苦しむだけでなく、巻き込まれるようにして、男ではない者たちも犠牲になる。男らしさと暴力性の関係に触れて、本作では殺人事件の加害者のジェンダー差をデータで示している。

アメリカでは1時間ごとに3人以上が銃で殺害されており、年間3万人以上が命を落としている。加害者の9割が男性で、50%が25歳未満だという。また、4人以上の大量殺人は平均2週ごとに起きていて、加害者の94%が男性だ。最年少の加害者は11歳。大量殺人は近年激増していて、学校での銃撃は、週に1度はアメリカのどこかで起きている。「銃が身近にあるのは少年も少女も同じなのに、少年ばかりがそれを手に取るのはなぜだ?」と出演者のひとりは問いかける 。

もう、「男」にも「女」にもならなくていい

FilmStill.StevenandJackson

©『男らしさという名の仮面』

本作が描き出すのはアメリカ社会における男らしさの問題なので、日本社会にそのまま敷衍できるわけではない。男らしさとひとことに言っても、各国でその内容は異なっている可能性もある。しかし、性別に「らしさ」という規範が作られ、それを教え込まれながら育っていく構図は同じである。「らしさ」の圧力がストレスを生むこともまた、共通している 。

性別らしさは、虚構に満ちた仕組みだ。全員でそれを目指して絶え間なく演技しているにすぎない。化粧やダイエットや筋トレや……、さまざまな性別らしさの演技練習にいまいち打ち込めないという人は、私が思うに、この虚構の構図に気づいている人である。そのような演技や努力が「私」を構成する本質的なものではないと直感しているから、無駄な努力をする気になれないだけだ。性別らしさを追求すればするほど、性別によって割り振られる役割を演じ続けることになってしまう。「男だから/女だから、こうしなければ」といった考えは、その人からその人らしさを奪う

ただの「私」であり続けられる日々が欲しいだけなのに、社会的な規範によってそう生きられないのは、悲劇でしかない。人間は、本当は、自分であること以上のことはできない。そして人間は、「男」にも「女」にも、もうならなくていいのだと思う 。

男らしさという名の仮面

原題 The Mask You Live In/2015年・アメリカ/配信 NETFLIX

画像提供/the representation project

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濱野ちひろ
ノンフィクションライター
1977年、広島県生まれ。2000年、早稲田大学第一文学部卒業後、雑誌などに寄稿を始める。インタビュー記事やエッセイ、映画評、旅行、アートなどに関する記事を執筆。2018年、京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程修了。現在、同大学大学院博士課程に在籍し、文化人類学におけるセクシュアリティ研究に取り組む。2019年、著書『聖なるズー』(集英社)で開高健ノンフィクション賞受賞。2020年、同書で大宅壮一ノンフィクション賞候補、講談社本田靖春ノンフィクション賞候補。 Photo:Shunichi Oda

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