一見華やかなアートやエンターテインメント業界、しかしその裏で、実際働く人々の労働のあり方はどのようなものか。2019年11月に開催したビジネスカンファレンスMASHING UP Vo.3では、表立って語られることの少ない「アートと労働」の関係を紐解くディスカッションが行われた。題して「多様性は芸術を生むのか」。
登壇したのは、実際にアート業界に身を置く「日本財団 DIVERSITY IN THE ARTS」の森真理子氏、そして「アートと労働」についてのインタビュー調査を行なっている、共立女子大学 文芸学部教授の吉澤弥生氏だ。
創造活動は労働か、否か
共立女子大学 吉澤弥生氏。
社会学の専門である吉澤氏が、このテーマに関わり始めて10年ほど。以前、自分もアートの現場で働いていたこともあり、現場を変えていくためにはまず調査研究が必要なのではないかという思いが発端だった。
「当初アート現場の人々に『労働問題に関心があるのでインタビューさせてください』と尋ねると、『いいですよ』という反応と『愚痴聞いてどうするの?』と言う方がいました。アーティスト寄りの人だと『私のやっていることは労働ではない、創造活動だ』と言う方も。労働には“やらされ仕事”のニュアンスがあるから、反発するのでしょう」と吉澤氏。
いくら労働ではないと言うものの、現実の働く環境はむしろ、過酷。それを目の当たりにしてきた吉澤氏は、法的に守られるものがあるなら、守られるべきと考え、実情を言葉で残していこうとインタビューを続けてきたそう。この日はこうした調査内容をピックアップし、スライドを見ながらの解説となった。
「まず20代男性のアーティストの例。自身の制作とは別に、WEB制作などで生計を立てているのですが、そうした依頼は、謝金や期限が知らされないまま仕事が始まることがよくあるそうです。
次に、多くのアーティスト・イン・レジデンスで活動を行う作家のケースで、『バイトより稼げない。この方法では、生きていくのは難しい』と話します」と、まずはアーティストに多いシビアな現実を投げかける吉澤氏。
次は、現場のマネージメント業務の例。
「芸術祭の運営を受託した会社の契約社員の例です。月給は26万円、残業代はなし。社会保障、住居手当もある。これをいいとするか悪いとするか。森さんの印象としてはどうですか?」(吉澤氏)
「社会保障と住居手当が出されない場合は結構あるので、私の知る限り“いい会社”に含まれるのでは?」と森氏が答えると、「そうですよね、これは70人ぐらい聞いた中では、まだいい方だと思います」と、吉澤氏が応じる。
「次もよくあるケース。この方は語学が堪能なので、『これ翻訳してよ』『このメール、英語で書いてよ』と、業務内容には含まれない仕事も頼まれることが多い。また、上司からの仕事のスキルの受け渡しがうまくいかないとも言っています」(吉澤氏)
「分かります。『誰かの背中を見て、仕事を覚えろ!』という職人の徒弟制度みたいな慣習がアート業界にはあるので、雇用契約を通じた業務内容が示されているかどうかグレーゾーンであることも多いですよね」と、現場で働く森氏が頷く。
「好きでやってるんでしょう?」という言葉の呪縛
日本財団 DIVERSITY IN THE ARTS 森真理子氏。
吉澤氏は、次々とインタビュー内容を報告していく。
「残業はするなと言われても、現場の仕事は終わらない」
「芸術祭などの期間限定イベントの文化施設で、数年限定で雇われる“有期雇用者”」
「交際費が落ちないので、熱心に働けば働くほど貧乏になる」
「準備段階ではお金が発生せず、仕事を受けるときも金額が不明瞭。企画のアイディアを出して、取られて終わりということもある」など、なかなかキツイ労働環境が明らかになる。
「自分の仕事の対価を主張しなければならないが、それもそれで結構しんどい」という意見には、「やはり、アートやクリエイティブに関しては対価での証明がつきにくいもの。『好きでやっているんでしょ』『お金じゃないんでしょ』とセットで言われがちで、厳しい業界だと思いますね」と吉澤氏。
日本社会が抱える4つの問題
吉澤氏はこの現状に対し、4つの問題点を抜き出した。これは「アートだから」というより、日本の社会全体の問題ではないかとも付言する。
「まずは、長時間労働。家に帰ってもメール書いていたりするのも、本来なら時間外労働です。2つ目は、低賃金。とくにアート業界は、相対的に一般の業界よりも低い。3つ目は、社会保障。アート業界は非正規雇用者もいるが、雇用の関係がない自営業・フリーランスの場合、労働者として守られる立場にない。最後に、ジェンダー格差。 日本の社会でモノをつくる労働に関しては、しっかり賃金が払われて保障がある。しかし、モノをつくる以外の労働、たとえばサービス、情報、教育、文化などは、そうではない」
これには、アートの現場を長年見てきた森氏も大きく縦に首をふる。「アーティスト全般、小説家、映画監督には圧倒的に男性が多く、地位が高く扱われている。反面、マネージャーには女性が多いものの、地位は低く扱われがちです。構造的な不平等があると、セクハラ、パワハラ、マタハラといった問題が当然出てきます。しかし、報告書にも書けない内容となると、被害を申し立てる側が多くのリスクを背負わなくてはいけないのです」
一方で、多様性も生じつつある。
2004年につくられた「就業形態の多様化と社会労働政策」(労働政策研究・研修機構) の報告書を掲げながら、吉澤氏は、「正規や非正規といった雇用契約と、経営者やフリーランスのような自営の間に、中間領域も生まれてきていて、補償の対象になりにくい。今の労働に関する法律が、全く働き方の多様化に合ってないのです」と指摘。
「アート業界は、あらゆる個性を受け止める世界。でもその夢のような世界を、どのような現実の保証で支えていくかは大きな課題ですよね」と森氏は続ける。
夢をつくる人々の労働を大きく変えるには?
山積みの課題ばかりが浮き彫りにされてしまったが、最後に吉澤氏は、未来に向けての積極的な活動に取り組む団体をいくつか紹介してくれた。
「たとえば『音楽家ユニオン』は、以前からオーケストラ奏者の条件交渉などの活動を行っています。私と森さんも理事をやっている『NPO法人アートNPOリンク』(2019年当時)では、実態調査を経年で続けてきました。映像機器の共有から始まった『アーティストギルド』の主要メンバーは、あいちトリエンナーレの補助金不交付などへのアクションを展開しています。また、海外の映画祭で有名な深田晃司監督が中心となった『NPO法人独立映画鍋』など、フリーランスを緩やかにつなげつつ現状を共有しようという心強い試みは次々に始まっています」
「状況は確実に10年前とは違いますし、この先15年先の未来がどうなるかというイメージの共有も大事」と森氏。
夢の世界を作っている人々の厳しい労働。しかしアート業界ならではの創造力を、働き方にも活かすことができれば、社会全体の意識を変える大きな推進力となるに違いない。
MASHING UP vol.3
「多様性は芸術を生むのか」~アート業界ならではのクリエイティブな働き方を目指して
撮影/TAWARA(magNese)

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