創業100年を超える長寿企業が世界一多いとされる日本。老舗刃物メーカー「貝印株式会社」もそのひとつだ。
カミソリ、爪切り、包丁、ビューティーケアなどと展開する製品は約1万種。確かな品質と高いデザイン性で国内外で人気を集める貝印のものづくりには、どんな思いが込められているのだろうか。
また、ここ数年でようやく「サステナビリティ」「SDGs」への関心が高まっている日本において、早くから持続可能な経営を掲げ、113年もの企業活動を実現してきた秘訣はどこにあるのか。
その答えを、2021年5月に新社長に就任した遠藤浩彰氏に聞いた。
遠藤浩彰(えんどう・ひろあき)
1985年、岐阜県関市生まれ。慶応義塾大学を卒業後、貝印株式会社に入社。生産部門のカイインダストリーズ株式会社や海外関連会社kai U.S.A. ltd. への出向を経て2014年に帰任。国内営業本部や経営管理本部の副本部長を経て、経営戦略本部、マーケティング本部、研究開発本部の3部門で本部長を歴任。2018年、取締役副社長に就任。2021年5月25日付で貝印株式会社 および カイインダストリーズ株式会社 代表取締役社長 兼 最高執行責任者 (COO)に就任。
生活者の声に耳を傾ける。貝印に生きる「野鍛冶の精神」
日本一の刃物の町、岐阜県関市。イギリスのシェフィールド、ドイツのゾーリンゲンと並ぶ「世界三大刃物産地」のひとつでもある。貝印株式会社(以下、貝印)の前身は、1908年にこの地で創業した。今年5月に新社長となった遠藤氏は4代目となる。
3代目の父親(現会長・遠藤宏治氏)からは、「家を継げ」などということは一度も言われたことがなかった。関市に生まれ、物心がついたときから近くにある工場や物流の現場で働く人たちの姿や父親がグローバルに活躍する背中を見て、「自分が会社を継ぎたい」と思うようになったのは中学生のころ。
「父の時代は、家業を継ぐのが当たり前。『お前はうちの皇太子だ』と言われて育ったと聞いています。その経験からか、私には好きなことをさせたいという思いがあったのだと思います。大学を卒業して貝印に入社しましたが、これまで家訓のような教えや経営者はこうあるべきといった明確なアドバイスをもらったことはありません」
しかし、その父がいつも身をもって示してくれたのが「仕事、お客様、社員に誠実であれ」という姿勢だったという。
「日々の会話や社内でのやり取りのなかで父から学んだのは、『お天道様が見ている』というような道徳観と言いましょうか。『人の道を外れるようなことや、人に後ろめたいと感じることはしない。そうすればおのずと正しい道へと導かれる』という精神です」
1876年、明治政府が武士の帯刀を禁じ、廃刀令が公布された。日本刀をつくることができなくなった関の刀鍛冶たちは、武士から生活者へ、日本刀から刃物へと対象を変えて生き残りにかけた。
生活者の声に耳を傾け、刃物を通じてより便利で快適な暮らしを提供したい……そんな実直な「野鍛冶の精神」が、守るべきこととして今も貝印に生きている。
会社のシンボルでもあるカミソリを“KAIらしく”イノベーション
貝印がものづくりで追求するのは機能性だけではない。製品開発の基本方針としているのが「DUPS」。これはデザイン、ユニーク、パテント、セイフティ&ストーリーの略で、社内では「KAIらしさ」として共有されている。
「DUPSとは、機能美といわれるようなデザイン性に優れ、他に類を見ない独創性があり、会社の知財となり特許といった権利で守られるような確かな製品。さらに安全にお使いいただけて、誕生の裏にストーリーを持つ製品をつくっていきたいという願いを込めたキーワードです。掲げるのは簡単ですが、貝印ブランドに恥じない製品を開発したいという思いは開発に携わる社員みんなが持ってくれていると自負しています」
その「DUPS」に適った製品のひとつに、発表前から注目を浴びた「紙カミソリ™」が挙げられる。
貝印の創業者は1932年に初の国産カミソリ替刃の生産を開始し、2代目は長刃軽便カミソリを製造した。3代目は世界で初めて3枚刃替刃式カミソリの製造・販売に成功。そんな企業のシンボルともいえるカミソリで「イノベーションを起こしたい」という声は、意外にも社員からあがったものだという。
「私にもカミソリに新たな価値を創出したいという思いはありましたので、プロジェクトの立ち上げを決めました。若手の社員を中心に、ふだんはカミソリ事業に携わっていない社員も加わり、『カミソリの存在価値とは』といった根本から洗い出しました」
イノベーションを検討するにあたり、ベースにあったのは「つねに清潔で快適な剃り味をご提供したい」という変わらぬ思い。衛生面が担保され、切れ味も損なわれないカミソリを求めるならば、毎日交換できるものが望ましい。しかしプラスチック製では環境に負荷がかかる ── そんなやり取りを交わすなかでたどりついたのが「環境負荷を考慮した紙をホルダーに使ってはどうだろう」というアイデアだった。
社内では「果たして、紙で強靭性は保たれるのか」といった反対意見もあったという。しかし、「新しいものを生み出すときに向けられる懐疑的な視点は、開発の気付きにもなる」と遠藤氏。
2018年にプロジェクトがスタートし、取引先に向けた展示会や一般向けの展示イベントを経て、商品化。2021年4月より公式オンラインショップで発売を開始した。
紙カミソリは、わずかな樹脂を残すだけで98%の脱プラスチックを実現。さらに5色展開で、男女問わずに使えるといったジェンダーフリーのメッセージも込められている。
変わりゆく購買者の選択基準。企業はどう適応すべきか
「SDGs」「サステナビリティ」に関する意識が今ほど高くなかった2018年にスタートしたカミソリのイノベーションプロジェクト。決して「SDGs実現を!」という掛け声のもとに紙カミソリをつくったわけではなかった。
「たまたま、製品のリリースと、プラスチックのスプーンやフォーク、ホテルのプラスチックアメニティの有料化が発表されたタイミングが合致しただけ」と遠藤氏は謙遜しながらも「社会的関心を集めることになったのは大変うれしいし、誇らしい」と語る。
さかのぼれば、1990年代から、貝印では環境負荷に配慮した素材を一部の製品に採用してきた。現役で発売している「エコレ」というカミソリに使われているのは、土中微生物によって分解されて自然に還る生分解性プラスチック。刃部のステンレスは錆びて土に戻るという性質を持つ。
「これまで、『日常使いのカミソリで環境配慮を』といった意識の高いお客様はあまり多くはありませんでした。でもここ数年、お客様が買い物をするときの選択基準が変わってきていることを肌で感じます。価格が少し高くても、未来につながることにベネフィットを感じて物を選ぶ ── そんな変化に、企業がどう適応していくかがカギになると思います。紙カミソリはそういう意味でも大変いいきっかけになりました」
持続可能な経営の課題は「環境配慮」と「技術の伝承」
社会のムーブメントに踊らされすぎず、やるべきことを着実にやっていく ── 。そんな貝印が持続可能な企業経営のために掲げるのは、まずは環境配慮。CO2排出量の削減、資源の再利用化、パッケージの見直し、さらにゆくゆくは使用済み製品の回収と再利用も視野に入れている。
そしてもうひとつは、技術や知見の継承。とくに刃物といった高い技術を要するものづくりにおいて、職人が持つ“勘どころ”の継承は非常に難しいものとされてきた。確かな腕を持つ技術者の育成は大きな課題となる。
「我々のものづくりは、機械と人の手でおこなうハイブリッドです。しかし、私たちは『切れ味』の『味』の部分を大切にしたい。この部分はまだまだ人の手に頼っており、機械での再現は難しいのが実情です。とはいえ、それでは持続可能とは言えません。そこでDX、AI、IoTを柔軟に活用し、良い切れ味の“音”をセンサーで可視化してデータ化するなどといった取り組みに生かしていきたいと考えています」
人々の暮らしに寄り添い、日常の何気ない一つひとつをスムーズにしてくれる貝印の製品。生活者の声に耳を傾け、ニーズに応えようとするその実直な精神こそが、113年という長きにわたり業界のトップを走り続ける理由のひとつであることは間違いない。
そんな精神を受け継いだ遠藤氏が率いる令和の貝印は、どのように持続可能な経営をおこない、どのように“KAIらしさ”を次世代に継承していくのか、展開が期待されるばかりだ。
撮影/柳原久子
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